TEAM空想笑年『TABOO』について空想寄りの考察

沼にハマりました

そういう事です。それが全て。そういう話をします。

 

小劇場沼ってなんなの?

前回書いた記事でもちょっと狂い始めちゃったんですが、また沼にハマりました。この沼の事、私は小劇場沼って呼んでます。呼んでるんだけど、かなり語弊のある呼び方なので弁明させてほしい。

小劇場沼とは言っても、小劇場に出てる俳優さんを推す沼じゃなくて、小劇場で上演された作品を推す沼なんです。私が言う小劇場沼はね。人には人の沼があるから。

でも、そもそも演劇の作品にハマるってどういうこと?っていうのを一回言語化しておきたい。

演劇の魅力の源泉として考えられていたものは、人同士が直接その場で相対し、同じ空気を共有する「同時性」であり、同一公演であっても、全く同じ舞台は二度と出来ないという「一回性」でした。

 この言葉が演劇の芸術性を完璧に指してると思ってて、小劇場で上演されてる作品ってまさに「同時性」と「一回性」の芸術だと思うんですよ。ロングランされてる訳じゃないし、次々に作品が発表されるから観てる方も出演する方も新しい作品にどんどん移り変わっていくから余計に「一回性」が強い場所だなって思うんです。見た人も役者も決してその作品の事を忘れているわけではないけど、一度公演が終わってしまえば滅多なことがない限り再演はされないし、よほどの人気作じゃない限り何年後とかに振り返って話をするとかもないじゃないですか。人生の中でたった1週間だけ見られる物語っていう儚さの極地にあるのが小劇場なんだと思うんです。私は。

しかも、物語っていうのは大抵、登場人物の全ての人生を描いているわけではないですよね。物語そのものも、登場人物達の切り取られた人生の断片なんですよ。その、登場人物たちの断片をより密接に見て、触れて、感じることができるのが小劇場なんです。

”限られた期間だけ目撃することのできる、登場人物たちの限られた時間”が小劇場で上演されている作品なんです(個人的な見解)。

 

でも、それって寂しくないですか?それだけで終わっちゃうのって、悲しくないですか?

 

寂しい、悲しいって思ったあなたは素質があります。今すぐ始めましょう。考察を!!!

そうなんです、つまるところ、小劇場沼っていうのは”小劇場で上演された作品を考察しまくって作中で語られなかった物語を補完する沼”ってことなんです!!!!!!!

このシーンでこの人はどんなことを考えてたのか、とか、言葉では語られてないけどこんな思いがあるんじゃないか?とかを考えるとより楽しいんです。物語を100倍楽しもう。

 

もうわかりましたね、小劇場沼。いいですよ、小劇場沼。一緒に浸かりませんか。

長々弁明したところでようやく本題です。

 

登場人物からTABOOを考える

今回ご紹介したい沼はTEAM空想笑年さんの第九回本公演『TABOO』です。諸々は前回の感想記事を参照してください。

0-namakemono-0.hatenablog.co

物語を考えるにあたって、個人的にはいつもシーンを主軸にして振り返ったり、登場人物を主軸にして考えたりするんですが、今回は登場人物を主軸にして考えます。なぜなら『TABOO』は登場人物たちがめちゃくちゃ魅力的だったから。

登場人物たちの中でも特に心惹かれた弐月悠人大政銀二に焦点を当てて考察を深めたいと思います。考察を深めるという事は、即ち沼を深めるという事!!!!すごいことになるぞ。ずっと苦しんでいる未来が見えます。

ちなみにこれは自分に言い聞かせてるんですが、考察を深めていく上で一番気を付けないといけないのは、根拠のない考察はしない事。これめちゃくちゃ大事で、ただでさえ明言されてない可能性を探し回っている身なので、根拠のない考察はただの二次創作ですから。二次創作も大好きだけど、考察と二次創作はちゃんと棲み分けたい。

できるだけ頑張る。なるべく空想しないように頑張る。空想したとして、二次創作にならないように頑張る。

 

西城組と東郷組

まず、登場人物たちを考察していくにあたって大前提となるそれぞれの組について考えたいと思います。

そもそもヤクザってどんな人たちなの?という所から出発しましょう。なんとなーくヤクザって怖い人たち、というイメージはありますがTABOOのヤクザ達は一般的なイメージに当てはめて考えると齟齬が生じそうだったので。

 

ちなみに、私のぼんやりしたイメージではなくWikiではこういう説明はありました。

ヤクザとは、組織を形成して暴力を背景に職業として犯罪活動に従事し、収入を得ているものを指す。

集団を特徴づける要因の一つに集団内部の親分子分の結合がある。また下っ端に該当する場合は「チンピラ」と称される。

(引用:ヤクザ - Wikipedia

ヤクザのWikiを調べてたら、ヤクザの語源についてこんな説がありました。

他にも、歌舞伎役者の派手な格好を真似た無法者(傾(かぶ)き者)のことを「役者のような」と言っていたことから「ヤクシャ」が訛って「ヤクザ」になったという説、「役戯れ」(やく ざれ)から来たという説

(引用:同上)

もしかして、ヤクザが演劇をするって設定はここから…?なんて思いましたが気のせいかな…。

つまり、ヤクザというのは暴力や犯罪活動を主軸にして生活している組織の事なんですね。確かに、西城組は暴力や犯罪行為を主軸にしているような描かれ方をしていました。主に演出家を金で買収する、卓也を実力行使で誘拐する、など一般的なイメージのヤクザらしい行動です。

でも、東郷組はどうでしょうか?

はじめさんは卓也が借金をしている劇団を恫喝したり、若手が喧嘩をしたり、と日常的に暴力や犯罪に身を染めている描写がなくはないですが、西城組よりは遥にマイルドな表現だと思いました。東郷組の人達はとても優しそうに見えるので、ドーラさんが「東郷組もヤクザなんだ」と諭すシーンもありました。

同じヤクザでも西城組と東郷組でこんなに雰囲気が違うの、なんで?

人柄、と言ってしまえばそれで終わりですが、私はこう解釈しました。

 

東郷組の人々はヤクザ、というよりは任侠の考え方に近いんじゃないかと思います。

任侠(にんきょう、任俠)とは、仁義を重んじ、困っていたり苦しんでいたりする人を見ると放っておけず、彼らを助けるために体を張る自己犠牲的精神や人の性質を指す語。現代的にはヤクザと重複する面もあるが依拠する信念を違える。 また、ヤクザ史研究家の藤田五郎の著述によれば、正しい任侠精神とは正邪の分別と勧善懲悪にあるという[1]。 仁侠(じんきょう)義侠心(ぎきょうしん)侠気(きょうき)男気(おとこぎ)などともいう。

(引用:任侠 - Wikipedia

ヤクザと任侠は似て非なる者で、東郷組の人々は生活形態こそはヤクザとして暴力や犯罪に手を染めて生きていますが、その精神の根底にあるのは任侠の精神だったんじゃないでしょうか。

そう思うと、東郷組の人々は任侠的な描かれ方をしていますね。カタギの卓也や春子さんをヤクザの世界に触れさせてしまって後悔するはじめさん、弐月に襲われている春子さんを助ける金三郎さん、極めつけは西城組から演劇をするために東郷組に来た小夏ちゃんと千秋さんを迎え入れる東郷組。

東郷組では”仁義”というものが重んじられていると考えられます。一般的なイメージのヤクザとして描かれている西城組、ヤクザとしての生き方をしているが精神的任侠である東郷組、という対比があるんじゃないでしょうか。

 

西城組と東郷組についてざっくり理解したところで、本題に入りたいと思います。

先は長いぞ~~!

弐月悠人と西城組

弐月悠人は西城組組長の西城喜一の甥っ子で若頭補佐なので、ひとまず西城組と弐月悠人の関係について解像度上げたいですよね。まずはそこからですよね。ちなみに今の解像度は46dpiくらいです。ひくひくひっくポーツマスじゃん。

弐月の事を掘り下げるうえで考えたい絶対に考えておきたい問題があります。

 

それは、弐月の前科はなんなのか?問題です。

弐月の登場シーンといえば、壱ノ瀬さんと北河さんが出所する弐月を迎えに来ている場面でした。後々組長も来ます。

ということは、弐月は何らかの罪を犯して投獄されていた、ということですよね。これオタク的にはめちゃめちゃ気になる。弐月という人間を理解しようってなると一番最初にこの壁にぶち当たりました。でも、犯罪の事には詳しくないので、ネットの叡智をお借りしましょう。

弐月が喧嘩っ早い事(出所して2時間で直政さんを殴る暴行RTA記録保持)、常にサバイバルナイフを持ち歩いている(可能性がある)事、そして出所に若頭・相談役ひいては組長が顔を連ねている事を判断材料にすると傷害罪傷害致死の2つの可能性が考えられると思いました。しかも、一般人相手の事件で組長が歓迎するとは思えないので、ヤクザ絡み、もっと言うと東郷組との抗争の末の事件なんじゃないかと思うんです。

傷害罪の場合、

傷害罪の刑罰は「15年以下の懲役または50万円以下の罰金」です。実際に言い渡される刑(量刑)は、この範囲内から決定されます。

(引用:傷害事件で逮捕! 初犯の場合、付加刑や処分内容はどうなるのか?)

だそうです。ここで気になるのが、50万円以下の罰金というところ。西城組はご存知の通り金に糸目を付けないタイプ。もし、組長の可愛い甥っ子が逮捕・収監となったら金の力でなんとかしそうなものです。でも、それをせずに(できず?)弐月が収監されてしまったのは、もっと刑罰が重いから、という可能性がありますね。

となると、傷害致死罪の可能性が大きくなってきました。

傷害致死罪の法定刑は、「3年以上の有期懲役」つまり、3年以上20年以下の懲役です。実際に刑務所に入らなければならない具体的な刑期や量刑は、この法定刑の幅の中で、それぞれの事案の特徴を考慮して決定されます。

参考までに、傷害罪の法定刑は、1か月以上15年以下の懲役か、または1万円以上50万円以下の罰金と定められています。これと対比すると、傷害致死罪は、第1に罰金がない点、第2に刑の期間が最低でも3年とされている点で、傷害罪よりもはるかに重い刑罰が定められていると言えます。

(引用:傷害・傷害致死の量刑は?|傷害の弁護士相談 | 傷害・暴行事件で逮捕されたら

引用にあるように、傷害致死罪は罰金がないので西城組は手出しできなかったのでは?と考えられます。あの組長が黙って弐月が出てくるのを待つしかできなかった背景を考えると、組長的には悔しい期間だったんだろうな、としみじみしちゃいますね。


ところで、弐月の前科が傷害致死罪だったとして、どのくらいの期間収監されていたんでしょうか?

ここの判断材料はめちゃくちゃ少ないんですが、東郷組と西城組の若手たちが喧嘩をするシーンで圭が「弐月悠人だ!」と言ってるのに対して、忠明が「え、やばいの?」と言ってるんですね。つまり、東郷組の2代目である忠明が弐月悠人の存在を知らなかったという事が考えられます。これは憶測でしかないんですが、忠明の年齢が20~23くらいだと考えると、弐月10年~15年収監されていたんじゃないでしょうか。弐月は西城組の若頭補佐に当たるので、忠明が名前すら聞いたことがないというのは物心がついた時にはもう弐月は収監されていた、という事なのでは…。

ちなみに刑期の参考はこちら。

yakuzanews.jp

また、弐月が銀二さんと対峙した際に「厚生は失敗したみたいだな」と言われています。銀二さんは弐月の素行の悪さを知っている上に、弐月が収監された時に既に東郷組にいた、ということですよね。

え、もし仮に弐月が10~15年収監されていたとして、捕まった当時20歳だったとしたら弐月さん30~35歳という事…!?!?わ、若いね…。

弐月があまりにも30代に見えないので、未成年の時に捕まったのか?と思い調べました。

少年(20歳未満の者)の場合、原則として、罰則は科されず、家庭裁判所送致→観護措置、調査官調査→少年審判→保護処分という経過をたどります。

もっとも、故意の犯罪行為により被害者を死亡させ、行為時に16歳以上だった少年にかかる事件については、原則、事件が家庭裁判所から検察庁へ再び送致されます。これの事件のことを原則逆送事件と呼んでおり、傷害致死罪もこの事件に含まれます。検察官の元へ送致されると、成人と同様の刑事手続で進められていきます。裁判となれば、一般人が裁判に参加する裁判員裁判を受けなければなりません。裁判で有罪と認定されれば、成人と同様に刑罰を科され、刑務所に服役しなければならない可能性もでてきます。

(引用:傷害罪と少年院送致 | 弁護士法人あいち刑事事件総合法律事務所

なるほど、事件当時弐月が未成年だった可能性が大きくなってきました。事件当時に16歳だったとしたら、26~31歳。見えなくはない…。妥当な年齢ですか…?ちなみに私は初見の時弐月は25歳くらいだと思ってました。

総括として、弐月の前科は傷害致死罪で10~15年収監されていた可能性がある、という事です!

銀二さんの20年といい、弐月の刑期と言いTABOOの時間経過を考えると胸が苦しくなりますね。これがヤクザに人生を捧げた人間の重みということか…。

心臓を叩いて苦しみを紛らわせたところで本題に入りたいと思います。

弐月悠人と西城組大政銀二と東郷組を考えていきましょう~!道のりは長いぞ!

 

 まずは弐月が文字通り命を賭して守ろうとした”西城組”。その面々と弐月の関わりを考えながら物語を掘っていきましょう。スコープ片手に穴を掘り続けるんだ…。

 

西城喜一

まずは、西城組組長であり、弐月の叔父(伯父の可能性もある)の西城喜一との関係を考えます。前述した通り、喜一さんは弐月をかなり長い期間失っていたので、出所の出迎えはそれはそれは熱烈な歓迎だったんじゃないかと思いました。

そもそも、西城喜一という男はめちゃくちゃ血縁者に甘いと思うんです。甘いというか、溺愛してるというか、愛が深いというか。でも、その愛っていうのは一般的な愛では決してなくて、ヤクザとして生きてる男としての愛だと思うんです。言ってしまうと、歪んだ愛情。弐月を西城組に対する歪んだ信念の持ち主だと思っていますが、そもそもの歪みの源流が喜一さんなのでは?と思う事も無きにしも非ずという事ですね。

そして、誰よりも弐月悠人という人間を理解していたのが喜一さんだったんだと思います。

 

ここで考えたいのは、西城喜一は弐月の抱えている感情に気付いていたのか?というポイント。

この弐月の抱えている感情というのは、前述した西城組に対する歪んだ信念と同義です。言い換えると、大政銀二に対する憎悪とも言えるヤツ。

弐月は喜一さんの甥っ子ですが、「俺の親父は喜一さんだけだ」と言うように、喜一さんを本当の親の様に慕っています。それはヤクザ特有の疑似的な血縁関係を指しているんでしょうか?私はそうではないような気がしました。TABOOにおいて、弐月の両親に当たる人物が描かれていないのが大きな意味があると思います。TABOOではヤクザを描いていることもあって”血縁関係”というものが大きな意味を持つと思うんですね。ヤクザというのは疑似的な血縁関係で結びついている人々なので、西城組にしろ東郷組にしろ疑似的な血縁関係というのは絶対的なもののはずです。その対比として本来の血縁関係である小夏ちゃんと喜一さんや忠明と冬華さんの親子が描かれているので、弐月の両親について何も触れられていないのは何か作為を感じます。

弐月の両親はもしかするともうこの世には存在しないんじゃないでしょうか。それが事故なのか、ヤクザの人間であることによる事件なのかはわかりません。弐月が本来の両親を捨ててヤクザである喜一さんの元に来たという事も考えられますが、その場合は弐月の世界から排除されたという形でしょうか。

つまり、弐月は幼少期、もしくは生まれてすぐに既に西城組の人間だった可能性があります。ヤクザ(暴力団)の構成員の多くは15歳~24歳で加入する傾向にある事から、西城組のどの構成員よりも深く西城組に結びついていたという事なのでは…?

 

ちなみに、ヤクザの構造や活動については以下のサイトを参考にしています。

www.npa.go.jp

西城組も東郷組もフィクションの存在なので、現実のヤクザとは大きく違うとは思いますが、参考程度に…。

 

幼少期から”西城組の人間である”というアイデンティティを抱えて弐月は生きていたと思うんですが、そのアイデンティティを植え付けたのは他でもない喜一さんだと思うんです。

暴力団の社会にあっては、親分・子分の上下関係は理屈を超えた絶対的なものとされ、親分の命令であれば、理非善悪を問わず、これに従うのが子分としての当然の義務であり、かつ美徳であるとされている。そして、こうした義務や暴力団社会の掟(おきて)に反し、親分の支配や集団の一体性を乱した者に対しては、厳しい制裁を加える一方、親分等の命令に従い組織に貢献した者に対しては、組織内のより高い地位をはじめ相応の報酬を与えるなどして内部秩序を保っている。

 とあるように、弐月はヤクザとしての美徳を喜一さんに教えられ、それを重んじていたんではないでしょうか。きっと弐月が収監されるきっかけになった事件で、弐月に殺人を示唆したのは喜一さんなんじゃないかな(ない話)。金三郎さんを襲って卓也を誘拐したのも、喜一さんからの命令だと思います。

 

そんなある種ヤクザという生き方を一番体現している弐月が、殺してしまうほど許せなかったのが大政銀二という存在ですね。たぶん、弐月と銀二さんは西城組で生活を共にしてた期間があると思うんです。きっとめちゃくちゃ短い期間。銀二さんの存在が東郷組に認知される前に東郷組に潜り込まないと意味がないので、銀二さんは西城組に加入してすぐに東郷組に入ったはず。西城組にいた期間はきっと長くても2年くらいなんじゃないかな。そんな短い期間で喜一さんの信用を勝ち取れるのが銀二さんという男のハイパースペックの高さを表わしてるとも言えますよね。それとも何年かは表に存在を知られないように隠してた秘蔵っ子だったとか…?どちらにせよめちゃくちゃ早い段階で西城組の中に地位を確立させたと思うんですよね。

弐月が16歳で収監された仮定に即して考えると、銀二さんが西城組に入ってきた時弐月は6~11歳だった事になります...??。計算めちゃくちゃ難しい…。間違ってるかもしれない…。幼少期からヤクザとしての美徳を重んじてきた弐月にとって、一度西城の人間になった者が敵対する東郷の人間になる事は、それはそれは許せない出来事だったと思います。きっと喜一さんはそれが西城組の為になる、と弐月に説明はしてるはず。でも頭では理解してても心では納得できない。そういう感じだったんじゃないのかな…。

 

そんな弐月の銀二さんに対する感情を、喜一さんは全て知ってたんだと思うんですよね。むしろ、全てわかった上でそう差し向けた、とも考えられる気がする。銀二さんという存在を弐月に焚き付ける事で、弐月をより強固な西城組の人間に仕立て上げようとした可能性もありますよね…。結果的に西城組の為に人を殺すことも厭わない子に育った訳ですし…。

喜一さんが全てを知ってるのは、喜一さん役の夢麻呂さんのお芝居でちゃーんと表現されてて震えました。劇中で喜一さんが弐月を手で制する場面が何回かあるんですよ…。みなさん気付きましたか…!?!?

・東郷組が攫われた卓也を救出する為にカチコミするシーン

「おめぇら誰だ!?」と言いながら、下手から出てきた弐月を手で制する喜一さん。

ここ、壇上では最下に銀二さんがいて、弐月は銀二さんにナイフを向けてるようにも見える…。でもここのシーンは、銀二さんをというよりは東郷組に面々を殺しかねないから手で制してるようにも見える。

・大立ち回り前芝居

「睨む相手間違えてんじゃねぇよ、おしゃべりはそこまでだ」と言いながら、無言で銀二さんに向かっていく弐月を手で制する喜一さん。これは完全に銀二さんに対して弐月が何かしら抱えているのを喜一さんは完全にわかっている…。

 

以上から考えて、喜一さんは弐月が抱えている感情に気付いていたと言えますね。むしろ、そう差し向けた人間説も…。ウッ…苦しい…次に行きましょう…。

 

壱ノ瀬涼

次は西城組若頭の壱ノ瀬さん。この人もかなり西城イズムの強い人で、冷血っぷりを遺憾なく発揮してて最高でしたね。西城組で実働部隊(物理)が弐月だとすると、壱ノ瀬さんは実働部隊(頭脳)という感じ。どっちもやばいし、どっちも最悪な事してそうでいいですね。

そんな壱ノ瀬さんと弐月の2人を考えるうえで気になるのは、もうこれしかないでしょう。

2代目はどっちがなるのか!?

そういうことですね。

しかし、通常、跡目は自分の直系の一子分(「イチノコブン」、実子分ともいいますが、昨今では一子分のことを若者頭、若衆頭、若頭などと呼ぶのが一般的となっています。)を指定しますが、例外として兄弟分を選定したり、一子分以外の子分を選定することもたまにはあるようです。ただ、自分の実子を跡目とすることはありません。

(引用:暴力団ミニ講座その9

現実の暴力団の跡継ぎを決める場合は上記の感じのようです。ですが、西城組・東郷組はフィクションなのでこの通りではありませんね。東郷組の2代目が栄吉さんの実子の忠明なので、TABOOの世界では跡継ぎは血縁が優位と考えられます。

では、西城組の2代目は誰なんでしょうか?

小夏ちゃんは喜一さんの実子ではあるけど女の子なのできっと候補外。とすると、有力なのは現若頭の壱ノ瀬さんか、甥の弐月か?と思いました。ヤクザの人が跡継ぎを決める条件とか何も知らないですけど。

でも、壱ノ瀬さんが2代目候補か?と思って見ると、まだまだ喜一さんのやり方に染まり切ってない感じがするような…。個人的な偏見だと、跡継ぎを決めるときって絶対的な信頼を寄せられるかどうかが決め手になってる気がするんですよね。そう思うと、喜一さんの壱ノ瀬さんに対する接し方はある程度の信頼があるにしろ、絶対的ではない感じがする。

逆に弐月が2代目候補か?と言われると、喜一さんは弐月に信頼を寄せてそうだけど弐月自身が危うさを抱えているので2代目という感じでもないような気がする。

え、じゃあ誰が2代目なの!?って思ったんですが、ここでハッしました。

おる!!!!喜一さんが絶対的な信頼を寄せてそうな人がおる!!!!

そうですね。銀二さんですね。

弐月と西城組だって言ってんのに絶対に銀二さんが食い込んでくるな。銀二さん無くして西城組語れない問題。

 

銀二さんが一番2代目に近いと思うと、銀二さんが西城組に戻った時の壱ノ瀬さんの反応がなんとなく納得できるような気がしました。

壱ノ瀬さんも銀二さんがスパイとして東郷組に行ってる事情を知ってる人間ですよね。ということは、銀二さんが西城組に戻ってきたという事は、同胞が戻ってきたという事で、本来であれば喜ばしいことのはず。弐月の出所を迎えに行ったように、銀二さんも迎え入れる…はず。本来であれば。でも、実際銀二さんが戻ってきた時の壱ノ瀬さんの反応は、あまり芳しい様子ではありません。なぜ??

これは空想の話ですが、もしかすると、壱ノ瀬さんは初めから2代目にはなれないと分かった上で若頭をやっていたんではないでしょうか?きっと喜一さんは銀二さんが戻ってきたら銀二さんに若頭をさせるつもりで、壱ノ瀬さんは若頭を間借りしているだけだったのでは。喜一さんはそれを言ってないにしても、壱ノ瀬さんはそれをなんとなく理解してた可能性がありますよね。

組長の言う事は絶対なので…壱ノ瀬さんは従うしかできないので…。

そう思うと、一番最初に弐月を迎えに来たシーンで「兄貴でいい」と言ったのは、頭という地位が仮のものだってわかってたから…!?それは深読みのし過ぎ…。

つまり、誰が2代目なの問題は、壱ノ瀬さんでも弐月でもなく銀二さんの可能性がでかいという結論…。ウッ…また苦しくなってきた…次だ、次…。

 

北河瑞貴

西城組のマイナスイオン供給ポイントこと北河さん。ではなく、相談役の北河さん。

みなさん思いませんでした?相談役ってそもそもなんだ…?

 組織によっては相談役や顧問を設けている組織もあります。
暴力団としてのキャリアが長い方などが任命され、組織の運営ではなく方針や方向性の相談を受けます。
経験が必要となり、長年ヤクザとして活躍した方が多いです。

 (引用:分かりやすい暴力団の組織図・呼び名 | 最新ヤクザニュース

なるほど…???

 ではどのような人物が顧問や相談役になるのでしょう。
六代目山口組で言うと顧問は章友会の石田章六会長です。石田章六は三代目田岡一雄時代から本家の直系組長で、司忍組長よりも本来はかなり先輩に当たります。代替りしていく過程で新しい体制や役職が決められる訳ですが、新組長から特に業界でのキャリアや人物が認められている場合、顧問や相談役に就きます。ただし六代目山口組としての活動の中心は執行部にあり、組織全体に対してはあまり発言権はありません。

組の活動で多忙を極める執行部に対して、顧問や相談役は隠居に近く普段わりと自由な身分でもあります。盃の関係については、主に舎弟盃になりますが盃なしの顧問や相談役という事もあります。隠居と言っても業界での実績や顔の広さでは組長以上という名の売れた人物も多く、業界の重鎮が多いのもこのポストです。

 (引用:役職 | 山口組情報局

なるほど……???

この相談役というポジションは現実のヤクザの世界で理解しようとすると大いに齟齬が生じそうなので、TABOO独自のポジションとして理解した方がいい感じがしますね?

何となくTABOO的に嚙み砕いて理解すると、組の中である程度の地位を築いていて、疑似的な血縁関係の外側にいる人?的な???

弐月が北河さんの事を兄貴って呼ばないのは、相談役で疑似的な血縁関係を結んでないから??稽古のシーンで「悠人、お前怖いよ」って北河さんが言ったのに対して、弐月的には千秋さんに言ってるとしても「ティボルトはこういうやつじゃねえのか」って答えてるし、その後に「こいつらの度胸がないせいだ」って言ってるから、やっぱり北河さんの事は兄貴分と思ってないのかもしれない。

でも、弐月は自分で敬語に厳しい癖に自分はちょいちょい兄貴分に対して敬語抜ける時あるよね…壱ノ瀬さんに対して「地下にいる」って言うし、え…もしかして壱ノ瀬さんと弐月って結構近しい地位なの…?補佐だしね…??弐月が他人に厳しすぎる可能性も拭えないけど。

銀二さんには「20年見ないうちに出世したみたいだな、関西のやんちゃ坊主が」って言われてるので、西城組に入ってきた時は関西で幅を利かせてたヤクザだったのかもしれない。その点では、業界でのキャリアや人物が認められている人間ってのは当てはまってるのかも。で、西城組に入ってキャリアを積んで喜一さんに認められて相談役になったってことかな…?????

直政さんとか桐彦さんが兄貴って呼んでるとこも見かけないし、北河さんが壱ノ瀬さんの事を兄貴って呼んでるところもない気がする…見落としてるだけかもしれない…。

金三郎さんも東郷組の相談役だけど、北河さんとは組との接し方が違う気もするので、その組独特の役職なのかもしれない。面白おじさん枠?

 

四阿桐彦

次は西城組若手の桐彦さん。桐彦さんもいいですよね、若手なりの葛藤とか激情を抱えている感じがすごくしてくる。東郷組も西城組も、重役と若手っていう線引きがかなりはっきりしているので、弐月と桐彦さんを考えた時に重役と若手の空気感の交わりを感じるのがいいですよね。重役と若手の対比を考えるとなると、若手にとっての弐月の存在とは?という点を考えずにはいられない訳です。

 

そもそも、弐月は長い期間収監されていたのでその存在を若手は認知していたのか?っていうのが大きな問題なんですね。弐月の刑期が10~15年だとすると、桐彦さんが23~25歳だとしても桐彦さんが西城組に入った時にはもう収監されてるはずなんです。なので、桐彦さんが入った時、弐月の存在は知らなかったんじゃないかと思いました。2週間前に入った直政さんが知らないのは当然として。

桐彦さんが入った時には西城組には弐月は不在だった訳ですが、でも弐月は西城組にとっては欠かせない存在な訳で、きっと壱ノ瀬さんとか北河さんにその存在を教えられていたんじゃないかなと思います。武勇伝的な感じで。

でもでも、絶対弐月が収監される前に会ってた感じがするんだよな~~~!!!!

ここの理解が一番難しい...。弐月の実刑が10年で桐彦さんが25歳だとすると、ギリギリ2週間とか一緒だったことになる…??桐彦さんめちゃくちゃ早い段階でヤクザになったことになるけど、いけるか…??でも、桐彦さんが10年西城組にいるようには見えないんだよなぁ…。

 

TABOO見た人~~!!!!どう思いますか~~~!!!!

個人的には、出会ってなかった説を推していきたいと思います。

東郷組と西城組の若手が喧嘩する時に、桐彦さんが弐月に胸倉を掴まれてるんですよね。あと、大立ち回りの時も背中蹴られてた気がするし、もしかすると弐月は桐彦さんの事をハッキリ西城組の人間だって認識してないのでは…??

稽古の時に、敬語問題で「てか、お前は誰だ」って言ってるけど、それもお前は何様だの誰だじゃなくて、まじで知らなくてお前は誰だって言ってる可能性も微粒子レベルで存在しますよね。

でも、正直会ってた説も唱えたい。後述するけど、弐月の暴力性の一番の犠牲者は桐彦さんっぽいんだよな。

そう思うと、桐彦さんと直政さんは西城組的に怒涛の時期に入っちゃったんだなぁ、と。ヤクザの世界に足を踏み入れるのだって相当の覚悟が必要だと思うのに、いざ入ったら会った事のないヤバイ兄貴がいるらしい…そろそろ出所だって言ってたけど、どんな人なんだろう…。で、いざ会ったら出会ってすぐ目の前で弟分が殴られ、自分も喧嘩の中で胸倉を掴まれ…。ヤクザって大変~~って思ってたら、ずっと敵だと思ってた奴がまさか自分の組の人間でいきなり幹部に!?ってことでしょ…?

桐彦さんと直政さんは東郷組で力強く生きていってほしい…きっと2人なら大丈夫…西城組で生きてたんだから…。

 

西城組若手2人のスピンオフめちゃめちゃ見たい。ね。

 

参島直政

桐彦さんのとこでも出てきた入って2週間ぴちぴちヤクザの直政さん。出会って2秒で弐月に殴られるかなり不遇の人。入って2週間ちょっとで組がほぼ壊滅ってやばい。激動すぎる。

桐彦さんと直政さんはTABOOの中でもなかなか辛い立場でしたが、1番の被害はやっぱり弐月の暴力だと思うんですよ。殴る蹴るの暴行。そこで考えたいのが、弐月の暴力の常習性についてです。

ここでは弐月が収監される前に桐彦さんと出会ってた世界線で話をしています。色んな世界線の可能性がある。

まず、なんで弐月は直政さんを殴ったのか?確かに不敬罪だとしてもなんで?

可能性としては、

・単純に直政さんにムカついたから

・服役中に大人しくしてた反動

・ただの暴力ジャンキー

ここらへんが考えられるんじゃないかなと思うんです。

1つ目の単純に直政さんにムカついたからは、かなり信憑性高めなんじゃないかと。稽古で桐彦さんが台詞で敬語じゃなかっただけで突っかかるので、直政さんの態度は弐月の中では超不敬罪だったんではないかと。そう思う訳です。北河さんも、お前怖いよって言ってたし、突発的にキレる事が多々あったんじゃないかな。弐月が収監される前は突発的なキレの犠牲はずっと桐彦さんだったんだと思う。西城組の人間として、兄貴として尊敬できるところはあるけど、暴力は振るわれる、みたいな関係。だから、直政さんが殴られる時目を逸らしてたのかな。機嫌悪そうな弐月にはなるべく関わらないようにしよう、みたいな自衛が染みついてる感じ。

2つ目の服役中に大人しくしてた反動も、ありそう。「出て2時間で人殴っちまった」って言ってるのは、後悔というよりは興奮してる感じに聞こえますよね。殴りたくてうずうずしてたぜ~的な。出所してから壱ノ瀬さんに協定の事とか聞かされてたはずなのに、話を聞いた直後に東郷組と喧嘩してるもんな。銀二さんに「若い連中は納得してない」って言ってたけど、1番納得してないのは弐月自身では…????

3つ目のただの暴力ジャンキーも、なくはない。ただ、生まれついたサイコパスではなくて、西城組の人間として生きてたら自然と身についちゃった感がある。ヤクザとして暴力的な日々に身を置いていたので、何かと自分の感情を発露させる手段として暴力が一番近い所にあるんじゃないだろうか。

しかも、東郷組の若手との喧嘩の時とか弐月めちゃくちゃ笑ってるんですよね。楽しそう。だとすると、喧嘩の時に桐彦さんの胸倉掴んだりするのって、ただ単純に殴りたいから?俺の獲物を取るな的な事?弐月、暴力ジャンキー説あると思います。

そうだとすると、暴力の常習性はかなり高かったんじゃないかと考えられますね。桐彦さんと直政さんは東郷組の傘下で平和に暮らしてほしいね。

 

西城小夏

人畜無害に見えて、結構西城イズムを受け継いでる小夏ちゃん。小夏ちゃんは本当にヤクザの世界を捨てて幸せになってほしい。改名しよう。

そんな小夏ちゃんと弐月はいとこの関係に当たるんですが、もしかして、弐月は身内には優しいのか?と考えられますね。

 弐月は演劇に何か興味ない感じで、1回目の稽古ではずっと座って一言もしゃべらずただ見ているだけですが、2回目の稽古ではちゃんと立って稽古に参加してしかも台本を見ずに台詞を覚えている。ティボルトの理解もなんとなくしている。

弐月、もしかして演劇の才能あるのでは?と思うと同時に、小夏ちゃんには甘いのか?って思いました。演劇をやれっていう喜一さんの命令絶対守るマンなのか、いとこの願いは聞いてくれるタイプなのか。

でも、3回目の稽古で弐月が不在なのを小夏ちゃんが「絶対サボり」って言ってるので、小夏ちゃん的には喜一さんの命令でしぶしぶやってると思ってそう。

どうなんだろう、喜一さんの命令絶対守るマンなのか、身内には甘いマンなのか。どっちにしてもいいよね。弐月の人間味に触れたい。

大政銀二

もはや大政銀二の文字列で泣けるようになりました。限界オタクです。

TABOOの中で最も大きな業を背負いし漢ですね。銀二さんの死は悲しいけど、生かされたまま東郷組の傘下に入る方が銀二さんにとっては地獄だと思うので、せめて西城組の人間として死ねたことが救済だと思いたい。いや、本心を言うと死んでも行く先は地獄であってほしい。裸足で茨の道を突き進んでほしい。死すら銀二さんの魂を救えない程の業の深さを感じる。夢かな。

息をするように妄言を繰り広げた所で本題ですが、弐月と銀二さんで何を考えるって、これしかないでしょ!

何故2人は道を違ってしまったのか。

ですよ。1番考えてて楽しいし苦しい。TABOOのあらすじ読んでこんな苦しい沼があるなんて想像もできなかったよ...。サムズアップで沈んでいきます。この考察に関しては99%の空想です。許して…。

 

そもそも、弐月と銀二さんの目指すところは同じなはずなんです。西城組の栄光。繁栄。絶対的権力。そういうところ。その為に自分の身を賭す事も厭わない。西城組の為に地獄に身を堕とす事だって構わない。弐月は刑務所という地獄、銀二さんは東郷組という地獄。

なのに、何故2人の行き着いた先が死だったのか。

 

2人の西城組の人間としての生き方を導いたのが西城喜一だというのは前述の通りですが、2人の行く末を決めてしまったのも西城喜一その人なのではないかと思います。

西城組と東郷組の抗争の中で、西城喜一が命を落としたため協定を反故にし抗争に持ち掛けた西城組は圧倒的に不利になりました。この時、既に弐月は西城組が敗北する事を理解していたんだと思います。東郷組の芝居を瓦解させる事もできず、組長を失い、西城組の勝ち筋すら見失った結果、弐月は西城組としての勝利ではなく、弐月個人としての勝利を求めたんだと思います。その勝利条件が”裏切者に仇をなす事”だったのではないでしょうか。西城の崩壊が確定しているならば、自分の理想像としての西城組の人間として散ろうとしたんだと思うんです。その理想像としての西城組のノイズになっていたのが、裏切り者の銀二さんという訳です。本質的には銀二さんの行為は裏切りではなかった訳ですが、弐月から見るとただの一度でも西城組から離れ敵側についた銀二さんは裏切り者だとしか思えなかったんでしょうか。

銀二さんを殺した後、東郷組の頭であるはじめさんは狼狽して弐月に背中を向けます。もし、弐月が西城組としての勝利を求めていればこの時にはじめさんを殺すはずです。殺せる可能性は大いにあったはず。でも、それをしなかったのは西城組としての勝利を放棄し、個人としての勝利を求めていたからなんだと思います。

西城組の人間として生きてきた弐月の個人的な自我の発露だったのかな。死の直前に、西城組の弐月悠人としてではなく、一個人としての弐月悠人の幸せを求めたのかな。

そう思うと、めちゃめちゃ、めちゃめちゃ心が苦しい。喜一さんの元で、西城組の人間として生きていたのは決して不幸せなんかではなく、弐月としても幸せを求めていたとは思うんだけど、喜一さんは弐月の銀二さんへの憎悪を理解していた上でそれを抑え込んでたので、そこに一個人としての弐月の幸せはなかったのかな。あくまで西城組の人間としての弐月悠人としての幸せ。

 

でも、もし西城喜一が生きていたらどうなったんでしょうか。

描かれなかった方の可能性を考えるのは野暮だとは思いますが、考えたい。きっと、喜一さんが生きていたら、弐月は銀二さんへの憎悪を抑えて西城組の繁栄を優先させたのかな。それとも、生まれて初めて喜一さんの命令に背いて、仇をなしてたんだろうか。でも、きっと、喜一さんが生きていたら弐月の進む先は苦しみの道だったと思うので、喜一さんの死をきっかけに個人の幸せを求めて死ねた方がハッピーエンドだったんだろうな、と思います。

ウッーーー!!胸が苦しいーーー!!!助けてくれーーー!!!

 

次は平和な東郷組について考えましょう。心を救おう。

 

大政銀二と東郷組

先程平和な東郷組と書きましたが誤りです。こちらの方が地獄かもしれない。

裏切り者(裏切りではない。心はずっと西城組の人間なので。)の銀二さんに向き合っていきましょう。

でも、正直銀二さんについて考えると、描かれてない事の方が多いので空想9割くらいになっちゃうんですよね。初っ端、なるべく空想しないように頑張るって書いたけど、あれは嘘だ。

ということで、虚構を突きながら銀二さんの可能性を考えていきます。あと、ちょいちょい銀二さんを挟まずに考えるところがあります。あんまり深く考えないでください。

 

優しい羊の皮を被って20年間東郷組の面々を欺き続け、組長の死をきっかけにあっさり皮を投げ捨てた銀二さん。東郷組ではめちゃくちゃ面倒見がよくて、腕っぷしが強くて、頼れる兄貴で東郷組の精神的リーダーという描かれ方でしたが、実のところはかなりの冷血漢で、目的の為なら人を傷つけることも厭わない、サイコさんでした。

そんな冷血銀二さんを考えると、色々疑問が浮かんでくるんですが、ここでは何故栄吉の死を待ったのか?について考えたいと思います。

作中で明言されてる通り、はじめさんが若頭になる前は銀二さんが若頭でしたね。若頭と言うと、組のNo.2です。次期組長として活躍してたって言われてるし。その地位があれば東郷組を内側から崩壊させることも容易かったのに、それをせずに栄吉の死を待って西城組に戻ったのは何故なんでしょうか?

これはまじのまじで描かれてないので、ガチガチの空想です。ごめんなさい。

おそらく、銀二さんの中で最も重要だったのは東郷組を崩壊させる事ではなく、西城組に戻る事だと思うんです。銀二さんも弐月と同様に西城組に対して並々ならぬ思いを抱えた男なので、東郷組の人間として東郷組を崩壊させるのではなく、西城組の人間として東郷組を崩壊させる、という点に美学があったんじゃないでしょうか。

そうじゃないとしたら、自分を信用しきった人間を急に裏切る事で相手の狼狽する様を愉しむヤバイ奴になってしまうので。

東郷組から情報を得られるだけ得て、組長が死んで西城組の圧倒的優位が確定した段階で西城組に戻る、というのが銀二さんが20年間追い求めた完璧なゴールだったんだと思います。大政銀二、恐ろしい男。

 

そんな恐ろしい男と心優しい面々について考えるのはちょっと心苦しいですね。いいぞいいぞ。

 

東郷栄吉

まずは東郷組組長の東郷栄吉さんについて。

そもそもの根本を考えると、栄吉さんが銀二さんを東郷組に入れてしまったのが全ての始まりなんですよね。

何で銀二さんを東郷組に入れちゃったの???

そこを考えていきましょう。これも空想です。あれ、空想しかないな。

 

西城組の時にちょっと触れましたが、銀二さんはそもそものスペックがめちゃ高いと思うんですね。喜一さんから信頼を勝ち取って東郷組に送り込まれるくらいには、頭も切れるし、腕も強い、人柄もいい(偽りだとしても)ので、栄吉さんとしては良い人材だと思って迎え入れた訳です。喜一さんが初めて銀二さんに出会った時みたいに(ない話)。

そして冒頭で触れましたが、東郷組の任侠精神も大いに関わってくるんじゃないかな、と思いました。東郷組の人々が西城組から来た小夏ちゃんを迎え入れたように、根無し草(を装っている)の銀二さんを迎え入れるのは栄吉さんにとっては当然のことだったのかもしれません。もしかして、栄吉さんは銀二さんが西城組の人間だった事を知った上で東郷組に迎え入れたとかいう可能性がありますか…?そうだとしたら、栄吉さんは本当に任侠の男だったんだな…。

ない話は置いておいて、銀二さんに若頭を任せて、次期組長まで言わしめてるという事は、東郷組でも信頼はかなり厚かったと考えられます。その点に関して言えば、送り込んだ喜一さんの戦略勝ちとしか言いようがない。でも、きっと喜一さんも銀二さんも予想外だったのははじめさんとの出会いだったんじゃないかな、と思います。これははじめさんの時に詳しく書きたい。

 

そんなハイスペック人間の銀二さんを、門前払いするのは不可能だったと考えられますね。栄吉さんは悪くない。銀二さんがハイスペックなのが悪い。ね。

 

馬場金三郎

早速銀二さんを隅に置いておきます。

ここでは金三郎さんと忠明について考えさせてほしい。空想だが。

北河さんのところで相談役ってなんだ?という事を考えましたが、東郷組での相談役ってどんな役割なんでしょうか?

西城組での相談役は、組に深入りしすぎず適切な距離感を保っている立場という感じでしたが、東郷組ではかなり相談役が中心人物のような感じがあります。それは金三郎さんの人柄が大いに関係しているんだと思いますが。相談役の雰囲気で組の雰囲気が変わってるんですかね?相談役の力関係難しいね。

 

 

お祭りの時は忠明と屋台をやったりして、組の行事にも積極的だし、 東郷組の縁の下の力持ちな感じ。めちゃくちゃ縁の下から出てきてるけど。

忠明が2代目になっていく過程は本編中に2段階あると思ってて、その1段階目が金三郎さん襲撃だと思います。金三郎さんが襲われたことで、忠明に2代目の自覚が芽生えたんじゃないかな~~。そうじゃないかな~~。

東郷組の精神的リーダーは銀二さんだけど、精神的な結びつきを担ってたのが金三郎さんなのかな。そう思うと、東郷組の相談役はかなり組にとって重要な役割なんだと思います。

 

そう思うと、金三郎さんが作ってた精神的な結びつきを銀二さんは上手く利用してたのかもしれないですね。自分から働きかけなくても、金三郎さんが銀二さんを東郷組に迎え入れて、組み込んでくれてたのかもしれない。組織の中に入り込んでさえしまえば、銀二さんとしてはもうどうとでもなると思ってたのかもしれない…!怖いね…!

 

南京四郎

次はスナイパー神父こと京四郎さん。若頭補佐の京四郎さん。

今若頭補佐ということは、元は銀二さんの補佐だった可能性も考えられます。つまり、銀二さんをよく理解してた人物だったのではないでしょか。結局は理解できていなかった訳ですが。そこで考えたいのが、銀二さんを疑う余地はなかったのか?という点です。あ、もちろん空想ですよ。

 

 京四郎さんは組の輪の中に入るタイプではなく、外から見守るタイプなのでかなり組を俯瞰して見ていたと思うんですが銀二さんの裏切りになぜ気付けなかったんでしょうか?銀二さんは割と頻繁に喜一さんと連絡を取っていたので、その場面を東郷組の面々に見られてもおかしくはなさそうですが、小夏ちゃんが「よく連絡を取ってる人がいる」って言った段階で誰も心当たりがなさそうなので、本当に誰も気付いてなかった可能性がありますよね。それってすごくない?完全犯罪じゃん。

栄吉さんが死んだ後に情報が洩れている事を京四郎さんが指摘してるけど、それでも銀二さんが情報を流してるところまでは辿り着いてないのを考えると、まじで誰も銀二さんを疑う人はいなかったんだという事です。すごすぎ。

京四郎さんも能ある鷹は爪を隠すタイプで最後の最後まで自分がスナイパーという事を隠していましたが、銀二さんは爪どころか鷹だという事すら隠していたんだなぁ。

 

京四郎さんという男を完全に騙せたのは、銀二さん的には大勝利だったのかもしれない。きっと、東郷組の人々の中でも一番理性的というかブレーンの立場にあるのが京四郎さんだと思うので。京四郎さんが銀二さんを信じた時点で、他の東郷組の人々は銀二さんの事を疑う余地は全くなかったんだろうなぁ、と思います。

 

新発田圭&白石良典

東郷組組員の圭さん。圭さんは西城組にはいなかった中堅くらいの組員ですね。若手ではない感じ。忠明、良典、圭の3人組の中で1番年長だし、歴も流そう。たぶん、銀二さんがはじめさんと出会った後くらいに入ってきてそう。

そして圭さんと同じく、東郷組組員の良典。3人組のちょうど真ん中の立ち位置と思いました。めちゃくちゃ若手という訳ではないけど、まだまだ喧嘩っ早くて若い青年という感じ。銀二さんに叱られながらも、真っ直ぐ育っていく途中という感じ。

 あ、例に漏れず空想です。東郷組を考えようとすると空想しかできねぇ!許してくれぇ!

 

これは純度100%の空想なのですが、圭さんと良典は銀二さん派の人間だったんじゃないか、と思います。

きっと、銀二さんが栄吉さんに直談判して若頭を交代する時に、全員が全員快く交代を受け入れた訳じゃないと思うんですよね。超有能な銀二さんから、少し不安要素のあるはじめさんに交代する訳で、きっと圭さんは若手の時から銀二さんの背中を追って来てたと思うので、色々と思う所はあったんじゃないかな、と思います。良典も何かと銀二さんを頼りにしているような感じがするので、まだ銀二さんほどに信頼をはじめさんに持ててないのかな…。

3人組の中での圭さんの立ち振る舞い方的に、銀二さんの生き様を参考にしてるところが大いにあるんだろうな~と思うんですよね。きっと、圭さん的には銀二さんは本当に頼れる兄貴分だし、自分の目指す場所だったと思うんです。だから、銀二さんが突然裏切ってめちゃくちゃ動揺してるはずなのに、銀二さんの役をちゃんと全うすることができたんじゃないかと思うんですよ。

きっと、銀二さんもそれを理解してたと思うんだよな…。偽りの自分に憧れて頑張る若手を見て何を思ったんだろうか…。圭さんは虚像を見て、虚像に憧れて、でもそれを失った時に、しっかり自分を律して忠明を支える事のできる人間になってたんですね…。

良典も、自分の辛さをぐっとこらえて、忠明のサポートに回ろうとすることができるんですね。心が強いよ…。

 

きっと銀二さんが唯一読み違えたのは、東郷組の3人組が思っていたよりも心と絆が強かったことなんじゃないですかね。銀二さん的には若手連中から瓦解していくと思ったんだろうか…。

 

東郷冬華

東郷組組長妻の冬華さん。

冬華さん役の中島玲奈さんのこのツイートを見て、もうめちゃくちゃ衝撃が走りました。ウワ...見える沼だ...。

 

 

 ここでは、空想全開にして銀二さんと冬華さんの20年について考えたいと思います。

 

まず、忠明の年齢が20~23歳とすると、銀二さんが東郷組に入ってきたのが冬華さんが出産する前後だと考えられますね。つまり、冬華さんが精神的にキツイ時期に支えていたのが銀二さんということなのでは…!?という訳です。

極道の妻として、子供を産むというのはそれはそれはかなりのプレッシャーなんじゃないかと思うんです。普通の人間が子供を産むのですら大変なのに、極道という特殊な世界に身を置いている女性の苦労は計り知れません。冬華さんは人に弱音を吐くタイプではなさそうなので、栄吉さんに頼るという事はあんまりなかったんじゃないかな。でも、きっと銀二さんはそういう人の心の些細な変化まで機敏に気付きそうなので、冬華さんが折れそうなときに支えてたんじゃないかな~と思うんです。

 

そういう事もあって次期組長の期待もあったんじゃないかな。そういう所で栄吉さんの信頼を手に入れてた側面もありそう。

冬華さんの出産を支えてたという事は、忠明が生まれた頃からずっと知ってるわけで、育児なんかも手伝ってたのかなぁ。冬華さんが極道の女として、強く合理的に生きているのはそういう背景もあったのかもしれない。

そして、冬華さんの性格や生き様を見ていると、東郷組の人々の事をきちんとヤクザとして、ヤクザという生き方をしなければならない者として一般社会や一般的な物事から厳しく線引きができる人だと思うんです。そんな冬華さんなので、組長の妻である自分と、組員の間にも線引きはあったと思うんです。でも、そんな冬華さんに友人と言わしめる程銀二さんは信頼されていた訳ですよね。極道の女として、ではなく、一人の人間としての冬華さんの心に銀二さんは触れられていたんだと思うんですよ。

 

冬華さんと20年間苦楽を共にして、結果的には東郷組を裏切って冬華さんとも刃を交える事になるんだけど、そんな冬華さんに対して「手加減しないでください。俺もしませんから。」って言える銀二さんなんなの。怖いよ。

それでもきっと冬華さんは銀二さんを止めることができると心のどこかで思ってたんだと思う。何とか説得すれば、この戦いに勝てば、銀二さんがまた東郷組に帰ってきてくれると思ってたんじゃないかな。これは、忠明もはじめさんもそう。

でも、銀二さんにはそんな気は全くなくて、忠明にとどめを刺そうとした時、何としてでも自分を止めようとする冬華さんに対して「合理的じゃない」って言ったのかな。極道の女として、母として忠明を守ろうとした冬華さんに対して銀二さんは何を思ったんだろうな。20年間の出来事をちょっとでも思い返したりしたのかな。

 

東郷忠明

東郷組2代目の忠明。色々言いたい事がある忠明。

もう空想でもなんでもいいので、はじめさんと銀二さん不在の東郷組に忠明が何を思うのか、考えさせてください。何でもします。

 

忠明は最初は世間知らずというか、ヤクザの世界に上手く身を置ききれてない青年で、それでも東郷組の面々に守られて育てられながらヤクザの生き方を見つけていくんですね。でも、見つけきれないんです。栄吉さんが死んで、銀二さんが東郷組を裏切った段階では、忠明はハッキリとヤクザとして生きていく覚悟はできていないんです。圭さんや良典に背中を押されてやっと、自覚できそうになる段階なんです。

TABOOの辛い所はそこなんですよね。成長を待ってくれないんです。忠明は青二才のまま、辛い運命を乗り越えていかないといけないんです。

つい先日まで厚い信頼を置いていた男が、自分に真剣を向けてくる。命を奪おうとしてくる。自分が死ねば、東郷組は崩壊してしまうかもしれないという思いを抱えながらも、自分の命を投げうってまで銀二さんを止めようとしたんですよ、忠明は。これは涙無くして語れなくないですか。

そんな忠明が追っていたのは組長や若頭、そして銀二さんの背中だったんだと思います。組を引っ張っていく彼らの背中を追いつつ、金三郎さんや圭さんや良典に背中を押されて成長していこうとしていたんだと思います。でも、西城組との抗争で忠明は追っていた背中を全て失ったんですね。

 

組長の息子として、きっと組長の最期を看取ったのかもしれない。ヤクザとして生きていれば人の死に触れる機会は幾らでもあるけど、近親者の死は忠明にとっては初めての事だったんじゃないのかな。親の死と東郷組2代目の責任に急に直面して、初めは知らぬ顔をしてやり過ごそうとしたんだと思うんです。自分が変わらなければ、いつもと変わらない東郷組でいられると思った心が少しでもあったんじゃないかな…。でも、現実はそうはいかなかった。圭さんと良典に諭されて、改めて親の死と2代目の責任に向き合い始めたんだと思いました。

辛い運命を抱えながら、組の命運を賭けた戦いをしなければならないんですね。やめてあげてよ…忠明はもう十分頑張ったよ…もうそんな苦しい事やめてあげてよ…。と思いますが、銀二さんはやめません。銀二さんはバリバリに西城組として東郷組を堕とそうとしてきます。そんな銀二さんを見て、忠明が思ったのは”銀二さんを止める事”。

ここで、裏切者の銀二さんへの恨み、だとか制裁を加える、ではなくて”止める”というのが忠明が栄吉さんや東郷組の人々から教えられてきた任侠の心なんだと思いました。銀二さんの事も救おうとしてるんだと思いました。でも、銀二さんとしては、東郷組からやっと解放された今こそが救われている瞬間という。酷い現実。東郷組と銀二さんの心の大きな隔たりが露骨に描かれてて苦しいですね。

幼い頃からずっと一緒に生きてきた男に、刃を向けられてその身を傷つけられて、命を奪われそうになるのは、どんな気持ちなんでしょうか。辛すぎて深く考えられない。ここを深く考えると、めちゃくちゃ泣く。いずれ向き合います。

それでも、忠明の苦しみは終わらないんですね。

きっと忠明にとって1番苦しかったのは、はじめさんが自分の目の前で人を殺めてしまった事なんじゃないでしょうか。はじめさんも腕っぷしが強いので、喧嘩喧嘩の日々だったんだと思うんですが、人を殴って傷つけることはあっても殺すまではしてなかったんじゃないかと思うんです。それがはじめさんのヤクザとしての弱さであったかもしれないけど、はじめさんの優しさでもあったんじゃないのかな。そんなはじめさんを見てきてたと思うんです。忠明は。

それに、たとえヤクザであっても、人を殺せば捕まります。冒頭に弐月が刑務所に入っていたように、法で裁かれます。忠明はヤクザとしてはじめさんを失う事、そしてはじめさんが”ヤクザに出会う前に芝居に出会っていたら、俺は役者になってたかもしれない”と、ヤクザではない生き方に希望を持っていた事がわかっていたので、はじめさんが人を殺してしまう事をあんなに拒絶したのかな、と思いました。

 

あの忠明の叫び声がいつまで経っても忘れられないんです。私がこんなにTABOOに囚われているのは、あの忠明の叫び声の所為だと言っても過言ではない。

 

忠明の三重苦を噛み締めたうえで、色々失った忠明が何を思うのか…ですが、語られた部分を咀嚼した上で、何故忠明は西城組を許したのか、を考えたいですね…。

正直、忠明の立場からすると西城組の事はめちゃくちゃ憎いんじゃないかと思うんです。西城組の所為で銀二さんは裏切って、はじめさんは人を殺す羽目になったと思わざるを得ないはずなんですよ…。きっと…。ドーラさんがはじめさんに”西城組を赦したんだ”と言ったという事は、相当予想外だったことだと思うんですよね。なんなら、圭さんや良典が断固反対したのを押し切って西城組を赦すことにした可能性だってあるじゃないですか。でも、それってなんでなんだろう。なんで忠明は西城組を赦したんだろう。

 

もしかしたら、銀二さんの事を想っての事なんじゃないかなって思いました。

銀二さんの裏切りは西城組の為で、赦しがたい事だけど、西城組を潰してしまうのは銀二さんの20年間を否定してしまう事になると思ったんじゃないかな。銀二さんが東郷組にいた20年間は嘘偽りだったかもしれないけど、忠明が見ていた銀二さんは嘘でも偽りでもなくそこにいる銀二さんで、自分が憧れた背中を無下にすることはできなかったんじゃないのかな。東郷組を裏切った結果、仲間に殺されて、無念のうちに死んでいった銀二さんを救おうとしたんじゃないのかな。なーんて、全部空想なんだけどね。

 

瀬崎一

ここに来て、TABOOで一番深い沼が来ましたよ!!この沼を語らずしてどうTABOOを語るんだい、と言いたいところなんですけど、この沼めちゃくちゃ苦しいんですよね。酸性ですか?浸かった瞬間殺されますか?甘んじて浸かりましょう。

 

そもそも、銀二さんは何故はじめさんを拾ってきたんでしょうか。はなっから裏切る気があるなら、東郷組の構成員は手薄の方がいいはず。しかもなかなか尖ってるはじめさんを拾ってきたわけですから、何か思惑があるはずなんです。

いや…何にでも理由を追い求めるのはオタクの悪い癖…もしかしたら、本当に、銀二さんの気まぐれだったのかもしれない…。ただただ、面白そうなやつだと思って、近くに置いておいただけなのかもしれない…。この世には理解の範疇を超えた考えもあるのだから…。

はじめさんと出会った時は、西城組だとか東郷組だとか、そういうしがらみ的なものを度外視して、銀二さん個人の愉しさを優先させたのかもしれない。弐月が銀二さんを殺した時みたいに。この時に、銀二さんがはじめさんを拾わなければ、銀二さんは裏切りを成功させて西城組が天下を取っていたかもしれない。はじめさんは尖って生きてる中で芝居に出会って役者になってたかもしれない。

あるはずのない”ハッピーエンド”の可能性を夢想して現実の結末の苦しさをより際立させる厄介なオタクです。

 

銀二さんがはじめさんを拾ってきたのが気まぐれだとして、どうして若頭をはじめさんに譲ったんでしょうか?

これは、本当にもしかしてもしかすると、銀二さんははじめさんに対してはヤクザとしての建て前でなく、個人の気持ちで接していたんじゃなかろうか。自覚はなかったのかもしれないけど。西城組の人間として、東郷組をいつか転覆させる事を考えているなら、はじめさんを若頭にする理由がないはずなんです。絶対に銀二さんが若頭で、2代目の期待を背負ったままの方が転覆しやすいに決まってるんです。でも、それを差し置いてまで、はじめさんに若頭を譲ったんですよ、銀二さんは。

一人の人間として、自分が見出だした原石が輝くところを見たいと思ってしまったんじゃないでしょうか。

それでも、いつかはじめさんと袂を分かって対立することはわかっていたはず。むしろそうなる事すら望んでいたかもしれない。自分の育てた男が一人前になって、その立場と責任を背負って自分と対峙する事すら待ち望んでいたのかもしれないですね。銀二さんにとって、最高のステージを作っていただけなのかも。

 

銀二さんがはじめさんに贈った「やってできねぇことはねえ」という言葉。

これはきっと本当にそのまま銀二さんの本心なんだと思いたい。西城組とか東郷組とか、天下統一とかヤクザとか使命がどうとか責任がどうとか、全部度外視した銀二さん一個人の心から出た言葉なんだと思いたい。一人の人間の大政銀二から、一人の人間の瀬崎一に贈った言葉なんじゃないかと思いたい。

そして、この言葉は一人の人間の瀬崎一から一人の人間の鈴木卓也に贈られることになるんだと思うんですよ…。ね…。きっとそういう事なんです…。これ、私の死の間際に見る幻覚でよろしくお願いします…。

 

銀二さんがはじめさんに対して、一個人として接していたという大前提を心に置いて、大立ち回りのフィナーレを思い浮かべてください。

銀二さん、死ぬ直前に笑ってますよね…???????これ、観た人なんでかわかりました?????????

私、正直全然わかんなかったんです。なんで銀二さんが最後に笑ったのか。なのでめちゃくちゃ考えました。考えすぎて飛躍した物の考え方をしてるかもしれないけど、これが私の空想TABOOです。

 

銀二さん、最後の最後にはじめさんに、やっと一人の人間として認識してもらえたのを喜んでるんじゃないかと思ったんです。

はじめさんは銀二さんと刃を交えた瞬間でさえ、東郷組の大政銀二として接してたので、銀二さんも「さん、じゃねえだろ。銀二だろうが」と言ったんじゃないかと思いました。お互いに西城組と東郷組を背負っている人間として戦っているんですよね。ここ。照明も、赤と青が混じっています。

ただ、銀二さんがはじめさんに敗れた瞬間、照明が白一色になるんですね。この前段階で西城組と東郷組のテーマカラーの赤と青を強調しているなら、はじめさんが勝った時は青が強調されるんだと思ってました。でも、実際は白一色。何か意味があるんじゃないかなって思ったんです。

もしかして、もしかすると、この2人の決着がついた時点で、もうお互いの組の事は頭になく、それぞれ一人の人間として対話してたんじゃないかと思うんです。きっと、西城組の銀二さんは、東郷組が天下を取ったところで東郷組には戻らないと思います。その選択はきっとしないと思うんです。でも、あの場面では、「強気だな、それでいい」と肯定しています。それは、たぶん西城組の銀二さんとしてではなく、20年間はじめさんと苦楽を共にしてきた一人の人間の大政銀二としての発言だったんだと思いました。

そして、最後に弐月に刺され倒れていく銀二さんに対して、はじめさんは「銀二さん、銀二!」と呼びかけるんですね。最後の最期で、東郷組の銀二さんではなく、わざわざ「銀二」と呼び直したのは、はじめさんも東郷組のはじめさんではなく、一個人の瀬崎一として呼びかけたんじゃないかと思います。

それで、銀二さんは20年間自分が手塩に掛けて育ててきた男が一人前になって自分から勝利を奪えるほど強くなったのを身に受けて、最期にはお互いに一人の人間として接することができた満足感からの笑みだったんじゃないかと思いました。

苦しいよ…苦しすぎるよ…自分の空想で苦しんでるだけなんですけどね…こういう可能性もあるよね…きっと…。

 

おわりに

びっくりするほど長く語ってしまいました。

当初はこんなに熱が入る予定ではなかったんですが、書きながら配信を何回も見返してるうちにこんなに熱があがって、結果2万5000字くらいになりました。卒論です。

これは本当の話なんですが、劇場で見れなかったことを死ぬほど後悔しています。これは劇場で見たかった。一生悔やんで生きる。

 

自分の空想家という性分も大いにあるとは思うんですが、ここまでTABOOにのめりこめたのはひとえに、役者の皆さんの演技の素晴らしさにあると思うんです。私の超個人的な持論ですが、演技の良し悪しって感情がうまく乗ってるとか、台詞回しがうまいとか、そういう事じゃなくて、観客と物語の架け橋になれているかどうかだと思うんです。これは完全に見ている側の主観ですけど。めちゃくちゃ感情が上手に表現できていたり、台詞の言い方がめちゃくちゃかっこよかったり、そういう役者さんももちろん好きなんですが、役者さんの立ち振る舞いや言葉から役が見えてくるのって、そういう上手さと別にあると思うんです。いくら上手でも役が見えてこない人もいるし、演技に粗はあるけど役が見えてくる人もいます。

今回のTABOOは全く初見の役者さんがほとんどだったので、余計にそう感じたのかもしれないですが、とても物語に触れやすい役者さんばかりで感動しました。月並みな言葉で言うところの、役が生きているという感じ。

脚本も簡潔でわかりやすいストーリーなのに、登場人物の感情やら思いやらメッセージがしっかりした重さがあって、スッと心に入ってくる。そしてなにより、観客が空想を膨らませる余地のある物語なのが最高でした。演劇のよさって、観客が物語の語られていない部分を想像できるところにあると思うんですよ。これが映画なら、ここに回想がはいるんだろうな、とか小説なら細かく描写されてるんだろうな、とかいう部分を観客が想像力で補えるのがお芝居の難しさでもあり、愉しさでもあると思うんです。TABOOはストーリー的には補わずとも完成しきってるんですが、随所に観客が空想する余白があって上手いな~~と思いました。

 

長々と書きましたが、

TEAM空想笑年さん、めちゃめちゃ最高でした!

TABOO、め~~~~~~ちゃめちゃ最高でした~~~!

次回作も楽しみにしてます。

 

 

TEAM空想笑年第九回公演『TABOO』見ました(配信)

タイトルままです。見ました。配信で。

知り合いの方が出演されてて、存在自体は知ってたけど実はあんまり興味がなかったというか完全にノーマークだったんだよね。今は名古屋にいて劇場に見に行けないし、チラシであらすじを見た感じヤクザが演劇で抗争をする...ってなんだか平和そうであんまり食指が動かないな~~(見に行けないしね)って思ってました。

ぼんやりTwitterで人のいいねとかRTの流れで出演者の方のつぶやきとか写真を見てたらある日急に、あれ...!?!?この人めちゃめちゃ性癖に突き刺さるね...!?!?って役があって、これは気になるやつでは?思ったけど、これで平和な舞台だったらな〜〜って思ってめちゃくちゃ渋っちゃった。せっかく見るなら自分の心に刺さる舞台が見たいじゃん...前回出演者見たさで見た舞台の内容があまりにもう〜〜〜〜〜ん、だったから。

そうこうしてるうちに公演が終わって、出演者の人がちらほらネタバレツイートをしてて、これは来たぞ!!!と思ったのが、人が死ぬというネタバレ。ネタバレ全然気にしない、というかむしろネタバレしてもらった方が俄然見たい気持ちが強くなる星人なので、人が死ぬというネタバレはでかかった。しかも性癖に突き刺さるビジュアルの方が死ぬらしい。人が死ぬ舞台ってめちゃくちゃ好きなんだよね。死ぬ理由がちゃんとしてれば。前回はそれでう~~~んってなっちゃったんだけど。なんとなく、ヤクザもので人が無意味に死ぬ訳ないな!って思って見る選択肢即決でした。

しかもしかも、裏切りもあるらしい。ヤクザもので裏切りはそれ即ちクリームソーダに乗ってるアイスの如し。つまり、それが醍醐味じゃ〜〜〜ん!!!!裏切りがあるヤクザでつまんないわけがない!!!!そういうの大好き!!!!めっちゃ好き!!!!!

ということで、見ました。配信。配信が公演のスタンダードな形式になってくれてありがとうってめちゃめちゃ思いました。1週間お仕事頑張って、ピザ買って帰ってコカ・コーラをお供に部屋を暗くして見るのめちゃくちゃ良かった。映画みたいに舞台が楽しめるのもいいな。実際劇場に見に行く楽しさには勝てないけどさ。

 

物語はめちゃくちゃシンプルで、東郷組vs西城組のシマ争いを演劇でやっちゃうぜ!って大筋がわかりやすくてよかった。物語の構造はシンプルだけど、人間関係とか語られてない部分で考察する余地が沢山あってそれもめちゃくちゃよかった。正直、ずっと面白くてよくないとこなんかなかったんだけど、めちゃくちゃよかったって言いたくなっちゃう。冒頭部分の轟轟太郎のお芝居見たあとのはじめさんの語彙の消失してる感じ共感しかなかった。めちゃくちゃわかる。とにかく感動して楽しかった!ていうのを伝えたいんだけど、言葉が出てこないんだよね。すごい。やばい。めちゃくちゃよかった。物語の隅々に演劇あるあるというか、わかる~!ってとこが色々あったのも楽しかった。台本大事にしない役者っている~~!それはお前の命とちゃうんか~!?って思うあるあるが一番響いた。実際おるし、そういう人はダメだしとか全然メモしないタイプ(偏見)

これ、演劇したことある人もなんとなく共感できるし、演劇したことない人もなんとなく共感できるやってる側と見てる側のちょうどいいところをかすっていく物語だなって思いました。あと、お芝居やりたいなって思った最初の頃の気持ちをちょっと思い出せる物語でもある。はじめさんが高校生だったらめっちゃ高校演劇にハマってそう。はじめさん、贋作マクベスいいですよ。

 

物語の面白さはもちろん素晴らしいんだけど、登場人物がみんな魅力的なのがめちゃくちゃよかった。まためちゃくちゃよかったって言っちゃった。

バジリスク甲賀忍法帖を読んで青春時代を過ごしたので、対立構造モノにめちゃくちゃ弱くてすぐ好き...ってなっちゃうのもあるんだけど、それを抜きにしてもどの登場人物も気になるポイントがいっぱいあって好き。舞台ってみんながみんな主役って訳にはいかないし、台詞が多い役もあれば台詞が少ない役ももちろんあるんだけど、台詞が少ない役でもそれぞれに存在感がしっかりあって、それぞれの背景というか物語が気になる考察のしがいのある登場人物たちでした。そういうのめちゃくちゃ好きだ。考察厨なので。せっかくの対立構造なのでそれぞれの組で掘り下げちゃおう。これ空想笑年さんのTwitterのキャラクタービジュアル公開のツイートを見ながら書いてるんだけど、このツイートめちゃくちゃありがたいよね。何役なのかとかどんな役なのかがちゃんと書いてあるので、めちゃくちゃ物語理解に助かっています!!!Twitter担当の人天才!!

 

東郷組

東郷組めちゃくちゃかわいいね。みんなかわいい。みんながそれぞれ組の為、組員の為に動いてるのが目に見えてわかるので西城組との対比になっててグッとくる。

 

若頭のはじめさん(庄田侑右さん)は、もう言う事なしの主役すぎて最高でした。顔もいい、声もいい、仕草もいい、全部がいい。はじめさんヤクザの割に心が優しくて、初めて見たお芝居に感動してめちゃくちゃ饒舌になっちゃうピュアさも兼ね備えてて、そんなんずるくない?こんなに愛せる主役がいたらさ、そりゃ東郷組好き...ってなっちゃうよね。私は西城派ですが。TEAM空想笑年さんの舞台は初めて見たんだけど、口上とか台詞回しがめちゃくちゃかっこよくて、それをめちゃくちゃかっこいいはじめさんがやってるんだからもうすごくかっこいいわけですよ。はじめさんのお芝居を思い出すとかっこいいしか言えなくなる。でも、そのかっこよさの中に繊細さもあって、若頭っていう立場上沢山の人の命とかを背負ってるわけでその葛藤とか苦しみが表情一つ動作一つに丁寧に表現されてて、ほわ...となりました。言葉すら失いました。

 

 若頭補佐の銀二さん(平田剛さん)は色々言いたいことがあるので後で語らせてください。引き合いに出したい人がいるんだ。

 

もう一人の若頭補佐の金三郎さん(吉成豊さん)、見た人絶対好きになったでしょ!!!私はめちゃくちゃ好きになりました!!!東郷組愛せるキャラクターが多すぎる。愛がいくらあっても足りない。声がでかくて、がははと笑って、いつもニコニコしてるスキンヘッドなんて愛せる要素しかなくないですか?しかも、お芝居にめちゃくちゃ真摯に取り組んでるっていう...いい人過ぎる...ヤクザなのにね...。お腹刺されて生死をさまよった後に復活して元気やで!って無意識でお腹殴っちゃってウッ...ってなってるの愛おしすぎるし、最後の大チャンバラで金三郎からスッとロミジュリの役に戻るのめちゃくちゃ笑っちゃった。大好き金三郎さん。

 

相談役の京四郎さん(岩切亮さん)かっこよすぎませんか????男性がスーツ着てると本来の3割増しでかっこよくなるものとは思ってたけど、圧倒的にかっこよすぎてビビりました。恐れ慄くかっこよさ。金三郎さんが率先して周りとコミュニケーション取りに行く分、銀二さんと京四郎さんが一歩引いて見守る、みたいな立ち位置めちゃくちゃかっこよ...って思ってたら打ち上げでべろっべろに酔っ払ってて軽率に情緒が乱されました。それはずるい。そんな抜け目のあるところ見せるなんて。京四郎さんのゲロをみんな率先して受け止めようとするのはなんなんだ。あと、これは声を大にして言いたい。聖職者スナイパーはずるくないですか!?!?!?そんなんオタク大喜びの満漢全席じゃん。フルコースじゃん。しかもしっかり仲間の命を守ってくれる頼れる兄貴...。最高すぎ。

 

二代目の忠明さん(長谷川裕さん) もめちゃくちゃよかったなぁ...。おとぼけキャラかと思いきや、しっかり二代目としての責任を感じている面も見せてくれて、最後にはしっかり組長になって...。しっかりした大人が多い分、忠明のやんちゃさというか若さが眩しいね...。「演出家さんですか!?ヒャハァ~~~↑↑↑」ってハケていくのめちゃくちゃかわいすぎた。金三郎さんと忠明さんが一緒にいるの無限にかわいかったな。二人で焼きそば作ってるのを延々と見てたい。それにしたって、最後に組長の着物着て出てきたのめちゃくちゃ胸が熱くなった...。組長としての忠明さんとはじめさんの会話胸熱すぎませんこと????

 

組長妻の冬華さん(中島玲奈さん)、ハチャメチャにかっこよかったし東郷組の中で一番ヤクザだった。一番怖かった。でかくていかつい男たちが沢山いる中で唯一の女性なのに、一番迫力があったし言葉の圧がめちゃくちゃあってかっこよかった。でも、何かヘマしたらすぐに殺されそう。そんなマジの怖さがめちゃくちゃいい。極妻ってそういうこと!!!!でも人一倍組のことも組員のことも考えてて、みんなを守るための胆力って思うとグッとくる。最後の大チャンバラで忠明さんが切られた時に「忠明!!」って叫ぶのがお母さんすぎて泣いた。お母さ~~~ん!!!!!!

 

組員の良典さん(橋詰龍さん)と圭さん(寺島八雲さん)ははしゃぐ金三郎さんと忠明さんを見守ってるのがめちゃくちゃかわいかった。柄シャツの長袖と半袖、インナーが白黒なのは揃えてるの???ニコイチなの???かわいいね???

 

西城組

西城は東郷と違ってみんなが組の為にって考えてるっぽいなって思いました。それぞれが組の事を考えてるから終着点は一緒のはずなのに、各々が自分の事を一番に考えているというかワンマンな感じがして、組織感が強くてなんかよかった。ヤクザってそういうこと。ちょっとドライな空気感がめちゃくちゃいい。

 

若頭の壱ノ瀬さん(中根道治さん)の組の事しか考えてませんが?みたいなちょっと冷血っぽさが垣間見えるのめちゃくちゃよかった~~~~。これは最近得た知見なんですが、柄の悪い人が「靴を舐めろ」って言うのは本当に舐めさせたいんじゃなくて、舐めようとした顔を蹴るんですって。壱ノ瀬さんめっちゃ全力で顔面蹴ってきそうでめちゃくちゃ好きです。西城の人たちってどこかしらに冷たさを感じるのがめちゃくちゃ好き。本当に血の通ってる人間なのかい?って思う片鱗がチラ見えするのめちゃくちゃいい。東郷組がめちゃくちゃあったかい雰囲気がある分、西城組の冷たさが最高に効いててしびれる。でも、劇の稽古はちょっとノリノリなのかわいい。そういうの好きなんですね。

 

若頭補佐の弐月悠人さん(須藤飛鳥さん)!!!!!弐月悠人!!!!一番情緒乱されました。弐月悠人。一番好きです。まず見た目がよすぎる。最初の方で性癖に刺さる役がいるな...?って言ってたのは弐月悠人さんでした。眉なし柄シャツはずるいね???弐月悠人、絶対にクソデカ感情を抱えし男だと思うんです。組に対してもそうだし、ヤクザという生き方に対しても。多く語らない寡黙な人間なのに、静かに狂気を懐に湛えている感じが最高でした。

きっと彼には時代によって変わっていくヤクザの在り方も、暴力を是としない協定も意味がなくて、人の道を外れた”ヤクザ者”として生きる自分の唯一の居場所である西城組を確固たるものにする為には”ヤクザ者”としてのやり方を貫き通すのが、彼が背負ったヤクザとしての生き方だったのかなって思いました。

彼が最後の最後に銀二を殺して、背中ががら空きのはじめさんを襲おうともせずにほとんど無抵抗で死んでいったのは、戦いの中で組長も死んで抗争としては自分たちの負けが決まっているけど、最後まで自分の中の美学というかヤクザという在り方を貫いた結果なんだと思うんです。きっと、たとえそれが結果的に組の為になる事でも、一度組に背を向けるなら西城組じゃないと思ってたんじゃないかな。だから弐月悠人は銀二の事を許せなくて、東郷組と西城組の抗争というよりは”自分の中の西城組”を守るのを選んだんだと思うんだ...。西城組の人間として、ヤクザとして生きる事に狂いすぎてしまった弐月悠人の最期としては最高のシーンだったと思います。最高...。

 

で、弐月悠人と同じくらい西城組の人間として狂ってたのが銀二さんだったんじゃないかなって思うんですよ!!自分の人生の中の20年を捧げて敵の懐の中で生活し続けるのってやばくないですか?しかも、ちゃんとそれなりの信頼を築いて、それなりの地位に就いて。でも、結局銀二さんは骨の髄まで西城組の人間だったんじゃないかなって思いたい。私はそういう銀二さん像を見ました。幻覚で。
個人的に、TABOO見た人全員に聞いて回りたいんですけど、銀二さんがもし弐月悠人に殺されなかったとしてはじめさんに必要とされて東郷組に戻ると思いますか?????戻らないと思いますか??????

私は断然戻らない派です。戻らないでくれ~。戻る世界線もそれはそれで素敵な世界だと思うけど、西城の為に人生の20年を捧げた銀二さんは絶対に西城の人間として死んでほしい気持ち...。めちゃくちゃ個人的な解釈だけどね。弐月悠人と銀二さんは同じくらい西城の人間として狂ってて、同じくらい狂ってたが故に散っていった2人だと思ってます。私は。

 

相談役の瑞貴さん(福田滋さん)のビジュアルめちゃくちゃ好きです。え~~~大好きだ~~~~。ビジュアル100000点すぎる。密売とかしてそうすぎる。西城組の中では一番おちゃらけ感が強くて、軽いノリを感じるんですけど、瑞貴さんも例に漏れずちょっと冷たそうなのがいい。優しくて愉快な人なんだけど、絶対裏がありそう。瑞貴さん、大チャンバラの時パンフレットで戦ってませんか????拳銃とか持ってるのかなって思ってたら、パンフレットしか持ってない...????見間違い????パンフレットで戦う瑞貴さんかわいいですね。あと、瑞貴さん動くたびに髪の毛が揺れるの最高すぎる。キューティクルすごい。

 

組員の桐彦さん(村田諒人さん)、作中では全然明言されてないし個人的な幻覚だと思うんですが、銀二さんとか弐月悠人と同じ類の狂いを感じました...直政さんが初めて弐月悠人に会った時に、途中までは「こいつまだ入ったばっかりで...」って仲裁しようとするのに途中からスッと仲裁をやめて殴られる直政さんをただ見てるとことか、戻ってきた銀二さんに楯突くところとか、西城の人間の冷たさをめっっちゃ感じて、もし西城組が東郷組に吸収されなければ、2人と同じ狂いの道を突き進んでたんじゃないかなー!そのルートの桐彦さんめちゃくちゃ見たい。でも、本編ではまだまだ優しさというか人の心のある青年だったので、これから東郷組の傘下で柔らかいヤクザになっていく気がしますね...それはそれで素敵なので。

 

同じく組員の直政さん(小野田唯さん)、アクロめちゃくちゃすごい!アクロ殺陣めちゃくちゃかっこいいな...卓也さんにスカウトされてアクロ俳優になるルートはありますか...。直政さんは西城組の中で一番真人間なんだな~って思いました。そりゃ入って間もないんだもんね。東郷組の傘下に入った後、金三郎さんにめちゃくちゃなついてそうな未来が見える。

 

組長娘の小夏さん(瀬口杏奈さん)、西城組の中で生まれ育ったのにめちゃくちゃ真っ直ぐな子に育ったんだな...!って思いました。率直に。あの西城組の人達に囲まれてたら性格すごいことになりそう。でも、もう家には帰れないって言われてすぐに「縁を切ります」って即答できるのさすがですわねって思った。強いお嬢様だ。演劇祭が終わったら小夏さんはどこに行くんだろ...ヤクザの娘として生きたくないって理由で西城組を捨てたってことは、東郷組にもいられないよね...一人で生きていくのかな...。

 

お芝居の人達

巻き込まれちゃった人達、みんな不憫すぎるのに逞しすぎてすごい。

 

主役で小劇場俳優の卓也さん(有賀太朗さん)、冒頭のかっこいい殺陣芝居からの本編中は色々な事に巻き込まれて、最終的にめちゃくちゃかっこよくなるのずるすぎるくらいかっこいい。卓也さんとはじめさんの掛け合いがめちゃくちゃ好きです。不思議な安心感がある。本編中はヤクザの人達にずっと振り回されて、辛い目にあったりやばい目にあったりして、頑張れ...頑張れ...って思いながら見てたのに、最後の大チャンバラめーーーっちゃかっこいいし、ラストのロミオ!!!かっこよすぎる!!!!最後の「やってできねぇことはねえ!」で全部持っていかれた感がある。それがすべてだ。やってできねぇことはねえ。声に出して言いたい日本語。卓也さんのお芝居のテイストも相まってストレートに胸に突き刺さる。この物語を通してこれが言いたかったんだろうな、こういうメッセージがあるんだろうな、が全部突き刺さる。これが主役だ!!!って感じがした。

 

卓也さんの元カノの春子さん(粕谷萌さん)、心が強すぎる!!!冬華さんに対してあんなにしっかり言えるのすごすぎない?????私、途中まで春子さんと金三郎さんがくっつくルートに行くんだってなんか勝手に思ってました。そんなことはなかった。でもそれくらい金三郎さんと春子さんの組み合わせが好きだ。弐月悠人に襲撃されたときに、金三郎さんが春子さんを守ろうとするのめちゃくちゃグッと来た。演劇祭終わった後はもう東郷組の人達との関りはなくなっちゃったんだろうなぁ。それはそれで寂しいなぁ。

 

人気演出家の千秋さん(真辺彩加さん)、ベストオブ不憫だと思います。なんか全体的に不憫すぎる。めちゃくちゃ頑張って人気演出家の地位まで登りつめたのに、めっちゃやる気のない西城組を演出することになるのめちゃくちゃ不憫すぎる。

 

栄吉・喜一・ドーラ(夢麻呂さん)

ドーラママ大好きです。ドーラママめちゃくちゃよかった。組長ズのお芝居の感じとドーラママ全然違くて、すげ~~ドーラママだ...って思いました。小並感のある感想。ドーラママの台詞、一つ一つが物語の上でめちゃくちゃ大事だったり、大切な言葉だったりして、それをママの優しいけど強い言葉で聞けるのめちゃくちゃ最高~~~でした。ドーラママのよさを伝えたい...でもめちゃくちゃよかったしか言えなくなっちゃった...。めちゃくちゃよかったです!!!!!!!!!

 

めちゃくちゃいっぱい書いちゃったけど、とりあえず言いたいのはめちゃくちゃ面白かったってことです。お芝居って面白いね~~!ってニコニコしながら言える舞台。これは、本当に、劇場で見たかった。まじで。ここまで書いて最終的に劇場で見たかったって感想が出ちゃった。いやでもこれは本当に、劇場で役者さんの圧を感じたかった。でもきっと劇場で見てたら情緒のジェットコースターだったと思うので、配信のお陰で死なずにすんだという事。配信は7/30までアーカイブ残るの嬉しいねえ。好きポイントいっぱい吸い尽くせるねえ。きっと好きになるとは思ってたけど、こんなに狂ってしまうとは思ってなかった。最後にこれだけは言いたい。弐月悠人はいいぞ。

 

 

 

 

超撮影後記(写真多め)

初めてのスタジオ撮影行ってきました

2月某日に生まれて初めてのスタジオ撮影に行きました。

撮りたいものはいっぱいあるけどどうしたらいいんだ~と尻込みしてたところ、被写体で協力してくださってる赤坂志保さんの「じゃあスタジオ予約しちゃいましょ!」という鶴の一声でスタジオ撮影が決まりました。勢いって大事。

スタジオ撮影が決まってからこんなのが撮れたらいいな~とぼんやり考えていたものを急ピッチで練り上げ、衣装や小物を揃えてスタジオ撮影に挑みました。

しかし、生まれて初めてのスタジオ撮影で撮りたいイメージはたくさんある...その結果かなり過密スケジュールの撮影になったのでその反省も込めて撮影後記を残しておきたいと思います。

・hazama撮影

hazama撮影は個人的に大好きなブランドのha❘za|maさんの大人に向けたセーラー服と大人に向けた学ランを男女ペアで撮りたい!という漠然とした願望から始まりました。

色々とご縁があり、赤坂志保さんと村田諒人さんのお二人に着てもらえることになり、そこに趣味を盛り込みました。

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レトロっぽさと妖しい雰囲気が出てたらいいな...。

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赤と黒の対にしたくて、ピアスと指輪も対にしてました。

あんまり写真でハッキリ写せなかったけど。

 

カメラ初心者なので、気の利いたストロボも性能の高いカメラも持っていない為この時は100均のスタンドライト×2をストロボ代わりに使っていました。

基本的に撮影してない人にスタンドライトを持ってもらって撮影してました。かなりアナログな撮影現場でした。

 

趣味を盛り込んだ結果、狐×hazamaという性癖ワールドができあがりました。

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お化粧は参考イメージだけお見せしてあとは赤坂さんと村田さんにお任せしてたんですが、めちゃくちゃ最高でした...。

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最近覚えた二重露出という技でエモい編集ができてとても気に入ってます。

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番外編でキセルでエモい写真を撮ったので、いつかしっかりレトロな撮影したいですね。よろしくお願いします。

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格子での撮影もしたんですがめちゃくちゃ難しかったです。もうちょっと右!あ!左!そこ!そこです~!みたいなドタバタな指示しか出せなくて語彙の限界を感じました。ポージングとか指示できる人になりたい。

・ルームウェア撮影

ルームウェア撮影は元々赤坂さん1人で撮影する予定だったんですが、衣装候補で3着手に入れたら全部かわいかったので、3人で撮影しよう!ってことになりました。勢いって大事。(2回目)

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概念が大好きなオタクなので、それぞれのルームウェアのお友達概念を連れてきて撮影しました。

宮崎さんはクリーム色のクマ、赤坂さんはピンク色の羊、村田さんは紫色の恐竜(?)でした。

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この部屋での撮影でも、撮ってない人が100均のスタンドライトを持ってたり備え付けの球体ライトを持ってたりアナログ撮影でした。

ライト持ちの宮崎さんを目が合って笑っちゃう村田さんとてもキュートなのでお納めください。

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ルームウェア撮影はお化粧もかわいくてふんわりした感じにしてもらって、個人的な要望でそばかすメイクをしてもらったんですがあんまり写ってなかったのでまたリベンジしたいです。いつか。

 

・魔女撮影

最後は今回一番やりたかった魔女撮影ですが、この時既に撮影開始から5時間くらい経っててかなり全員満身創痍でした。その上、一番準備に時間がかかったりその場で決まったことがあったりでスムーズに準備ができず、かなーりバタバタ撮影に入りました。猛省。

 

当初は宮崎さんに女装してもらいたい・赤坂さんに濃ゆいメイクをしてもらいたいという願望があって、両方を満たすために練り上げたら魔女モチーフになりました。

これはいつか物語作って挿絵みたいな撮影をしたいので、もっとブラッシュアップして絶対リベンジします。よろしくお願いします。

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この時赤坂さんは1日で3着着替えて3回メイクを直してもらってるのでめちゃくちゃ頑張っていただきました。短時間でバッチリ最高のお化粧してくださって本当に最高でした。

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ポーズも表情も最高で、この時ストロボとか周辺機器をしっかり揃えてなかったのが本当に悔やまれる...。この部屋は結構暗かったのでライト係の村田さんにめちゃくちゃ頑張っていただきました。

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不思議な雰囲気の編集がしたくてまた二重露出の技を使いました。素敵編集ができるようになりたい。

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宮崎さんの女装のお化粧もさせてもらいました。女装のこだわりがめちゃくちゃ強いので人の顔でかなり試行錯誤してしまいましたが、男の土台を消さずに女性の雰囲気もあるみたいな顔にできたと思います。個人的には。

ちなみにこの時、グリーンのフィルターを入れたライトとアンバーのフィルターを入れたライトを村田さんに下から当ててもらってました。かなり無理な体勢で頑張っていただきました...。大感謝しかありません。

 

1日で3イメージ詰め込んだ初スタジオ撮影は、かなりカツカツではありましたがめちゃめちゃ楽しかったです。

今後は1つのイメージに沢山時間をかけて撮影するって心に決めました。

 

・協力してくださった被写体のみなさま

【赤坂志保さん】

twitter.com

 

【宮崎祐司さん】

twitter.com

【村田諒人さん】

twitter.com

 

・撮影した写真を載せるHP

nonoue-photo.jimdofree.com

シャービィ☆シャービィ第5回公演 『星の子たちと2人の神様』 見てきた【12/23追記】

11/2 シャービィ☆シャービィさんの『星の子たちと2人の神様』観てきました。

ハッピーエンドとバッドエンドのマルチエンドだったのでどっちも観ました!同じお芝居をマチソワ通しで観るのは初めてで何故かソワソワ...。

マチネはバッドエンド、ソワレはハッピーエンドでした。それぞれの感想をしたためたいと思います✒️

 

💫バッドエンド💫

ひとまず、バッドエンド回が終わって勢いで書いています。

 

とても好きでした!バッドエンド回!オタク的な言葉で解釈してしまって情緒もないのですが、邪神ちゃん×神様にされちゃった人間の愛憎百合な物語でした。大好きです。

タリタは決して邪神ではないし、本当に真っ当に惑星を生きながらえさせたい神様なんですけど、何度も惑星の破滅を繰り返してる感じが自覚のない邪神って感じがして個人的にしっくり来たので、バッドエンドのタリタは邪神ちゃんみがあるなと思いました。超超個人的な解釈です。

あと、タリタのリタへの愛情は恋愛とか超越したそれ以上のものだと思うし百合と一言で言うのは無粋だと思うけど、便宜的に百合と思いました。実際百合どころの騒ぎではない...。

惑星の物語と聞いてたし、前半までは自然災害とか公害とかをテーマにしたポップな展開だったので油断していました。

自分の過去の失敗の打開策としてリタを生み出したタリタと、自分の存在が何者なのかもしらないままで惑星の運命を委ねられるリタと、神様のリタを妄信的に愛してしまう人間の星の子の三角関係がとても歪でとても綺麗でとっっっても残酷でした。

 

タリタの惑星リセマラの中で生み出された星の子たちが、結局神様の気持ち次第で消耗される運命にあるのに、他の為に頑張って惑星を守ろうとする姿もバッドエンドをバッドエンドたらしめていたのかなって思いました。

人間の星の子以外の星の子達達が他に対して献身的すぎて、今回クローズアップされてるのが人間の星の子だったけど違う星の子にクローズアップされてたらそれぞれにそれぞれの愛憎劇がありそうで妄想が広がります。

 

個人的に大好きだったのは、ラストで自分の事を人間だって自覚したリタがとても情緒不安定で人間らしかった所です。

好きな人に拒絶されて死にたい、自分のやってきた事がうまくいかなくて死にたい、そんな人間ならポツっとつぶやく程度の「死にたい」を神様のタリタはしっかり受け止めて手厚く殺してあげようとするのが最高でした。

物語の中盤で、タリタがリタに「タリタは命を軽く見すぎている」って言われたのをしっかり反省して、"命を大事にしている"リタが「死にたい」と願ったのを叶えてあげようとする姿に献身的すぎる愛を感じました。それでこそ人間...それでこそ神様...この物語の悲しい所は最終的には人間と神様の違いが浮き彫りになってしまう所なのかな、と思いました。タリタの「生きたいって言わないでよ!」が間違ってるけど正しい感情だし、愛...と思って泣きました。

タリタがリタを殺すために他の星の子たちまで巻き込んじゃうシーンもとっっても好きでした。タリタの動きが完全に邪神で好き。タリタの後ろに完全に触手的なものが見えました。虫の星の子の殺され感が1番好きでした。やめたげてよぉ...と思いつつ荒ぶるタリタは美しい。虫の死に様も美しい。

タリタが自分の意思で惑星を壊す程の星を呼べるって事はやっぱり前回の星もタリタの意思で壊したんだろうなぁと思って、より邪神みを感じました。

タリタは本当に気の遠くなるくらい何回も惑星を誕生させて何回も惑星の最後を見届けて来たんだろうなぁ...と思うとタリタの存在そのものが悲しい。前の惑星とかでタリタ自身が人間の星の子に惹かれてたのかなぁ...それで失敗してしまったけど次の惑星では人間の星の子を神様に仕立てあげてしまったのかなぁ...リタは本当のタリタの半身ではなかったけど、タリタの要素というか想いを少なからず含んでるのかなぁ...とか色々考えれてしまって苦しい。演出なのか偶然なのか、タリタとリタのリアクションとか仕草がすごくリンクしてる場面が何度もあって、同じ姿勢だったり動作が瓜二つで別々の存在だけどごく近しい存在って感じがしてなにか意図があるのかなぁって感じました。

 

がっつりファンタジー!って感じのお芝居は初めて見たんですが、キャラクターがそれぞれしっかり立ってるのに、誰も物語の根幹に邪魔しないし、どのキャラクターの好きになっちゃう...。

太陽の星の子と植物の星の子がシュールな笑いを取りに来てるのがめちゃくちゃツボにハマりました。太陽の星の子のハケ芸集が見たい。

みんな好きだけど、個人的には火の星の子が好きでした。毒の粉を焼き払う時、みんなが苦しんでるのをみて怯えた表情をしてるけどそれでの懸命に燃やし続けてたのが悲しいけど強くて...好き...。リタは拒絶された事への悲しみに呑まれてしまったけど、火の星の子は逆に拒絶されてもなおマザーへの愛で頑張ってた感じがして対比がつらいな〜って心に沁みました。

植物の星の子と虫の星の子とかがお互いを自然に庇いあったりしてて自然な信頼感があるのが、神様のリタとタリタがお互いを自然に信頼できてないのを際立たせてたな〜と思いました。星の子たちは何も言わなくてもお互いを心配してるのに、タリタはリタに頼ってって言わないと歩み寄れない感じが悲しい〜。

平和なシーンと殺伐としたシーンが交互に差し込まれてるのもつらいけど好きです。つらいな〜つらいな〜と思いながら最後に1番大きなつらい〜〜〜!!が来るのがバッドエンドの醍醐味...。

 

 

💫ハッピーエンド💫

ハッピーエンド回も終わってプチ喪失感を覚えながらまた書いています。

先にバッドエンド回を見てしまったので、ハッピーエンドとは言えちょっとダークな部分もあるのでは...??と思いながら観てたらゴリッゴリのハッピーエンドでした。

バッドエンドとハッピーエンドの気持ちの落差でジェットコースターできる。ハッピーエンド回を観てたら、人間の星の子は今までの惑星では2人1組だったのでは??と思いました。アダムとイブ的な。それをずっと見てたタリタが羨ましく思って自分の対になる神様(人間)を作ってしまったのかな〜〜なんて。

 

ハッピーエンド回は人間の星の子が暴走するダンスシーンで、人間の星の子がハケる直前に振り向くとこの表情がバッドエンドと全然違って痺れました。そういう違い大好きだ〜〜〜!!!人間の星の子のニュアンスが全然違ってめちゃ良かったです。善良な人間の星の子。バッドエンド回が悪の人間の星の子すぎた。

 

ハッピーエンドの最後のリタと人間の星の子の告白のシーン、タリタと妖の星の子が嬉しそうに去っていったのはなんでなんだろうって考えてたんだけど、妖の星の子はタリタが直接生み出した存在だから少なからずタリタとどこかで意思疎通ができてて、人間の星の子が人間のリタを拒絶しないっていうのがわかってたからなのかなって思いました。

 

2回みると要所要所にリタが人間の星の子だってわかる要素が沢山あって驚いた。災害は自然の星の子達にとってプラスの出来事だけど、人間の星の子にとってはマイナスの出来事で、みんなに平等にって立場の神様のはずなのにかなり人間に寄り添った物の言い方だな〜と。人間の数が減って苦しいのは、自分が人間の星の子だからなのかな、と。

神様であるタリタが自然の声を聞けなくて、人間のリタが自然の声を聞けるのはなんでかな...と思うけど、まだ上手く正解が見当たりません。あと、災害のシーンのモチーフはノアの方舟なのかな...とちょっと思ったり。

 

タリタは自分の強さと弱さを共存させない為にタリタを作ったけど、結果的に何かと共存して生きていくのが惑星の正解だったのが個人的にグッと来ました。

バッドエンドでは何かを拒絶した末の惨劇だったけど、ハッピーエンドは何かを受け入れた結果の大団円で、どっちも考えさせられる分岐だなって思いました。

 

個人的にはバッドエンド回が好きでした!

バーサーカータリタがもう1回見たい。

 

【11/6追記】

一気にハッピーバッドを見た気持ちを寝かせた結果星の子たちへの感情爆発したのでまた書きます✒️

星の子たちと2人の神様、物語もとても素敵なんですけど何がいいってキャラクター達がかわいいのが最高だと思うんです。

このキャラのここがよかった〜!これが最高〜!って言うだけの感想です。

 

💧水の星の子💧町田すずなさん

とびきりかわいいキャラクターNo.1だったのではないでしょうか。一挙手一投足がかわいい。最初に見た時、オープニングダンスの輪になった時に舞台前のサーキュレーターの風で衣装がヒラヒラしててめっっっちゃかわいかった。言動がめちゃくちゃかわいいのに、頑張る時はすっごくパワフルでそれもまたよかったです。

他の星の子にも言える事なんですけど、みんな純新無垢で他への思いやりとか優しい気持ちしか持ち合わせてないみたいな感じが日々の荒んだ心に沁みました。じゅわ〜。

 

火の星の子に対する水の星の子の姿がすごく好きで、自分もボロボロなのに怯えてる火の星の子に対して「おいで」って言うとこはめちゃくちゃグッと来ました。思い出すだけで涙腺熱くなるくらい優しさに溢れてる。きっと本来は他の星の子と助け合わなくても自分の力でなんとかできるくらい大丈夫なくらい強い子なのに、他の星の子を助ける事も助けてもらう事も素直に受け取れちゃう子なのかな〜って思いました。

 

🌪風の星の子🌪齋藤雅樹さん

よく飛ぶ星の子。人間を飛ばそうとして逆に飛ばされるとこ、円台がいくらふわふわだからってそんな勢いで突っ込まなくても...!って2回観て2回とも思いました。体が強い星の子。

 

他と深く関わる感じはしないけど、誰とも仲良くできてなぜかいつも気にかけてくれるみたいな、そんな立ち位置だな〜って思いました。

初めて見た役者さんだったんですけど、顔面の強さと頭のてっぺんから爪先まで完璧に風の星の子!って立ち振る舞いが印象的でした。指先が美しい。

 

🌞太陽の星の子🌞橋本我矛威さん

風の星の子とはまた違ったベクトルで顔面が強い〜〜と思いながら見てました。ツラに来た時に物理的な圧を感じた。

水の星の子と風の星の子が頑張っちゃうので中盤は隠れがちだったけど1人だけ惑星外の存在だから、いたりいなかったり、いたと思ったら存在感急に大きくなったりっていう立ち位置が太陽っぽいな、と思いました。

 

「いつか父ちゃんみたいな〜」ってセリフがあったんですけど、星の子たちには父とか母の概念があるって事なのかな。青と緑の惑星が爆発してその欠片に新しい生命が産まれたってセリフもあった気がするので、惑星の話はどこかで地続きになってる話な気がしました。タリタは次々惑星を壊してるけど、それぞれの惑星が以前の惑星をちょっとずつ受け継いでいってるのかな...。

 

🔥火の星の子🔥指宿理乃さん

見た目とか言動は強い子!元気な子!な感じなのに、拒絶されるのを恐れて人一倍臆病なの子だな、と思いました。

自分を生み出してくれたマザーに拒絶されて、他の星の子も自分の力できずつけてしまうかもしれないって怖がってるのに、みんなのピンチには頑張れる子...。火の星の子も、水の星の子が差し伸べてくれ手を受け入れる事ができる優しさが根本にあったから土壇場で頑張れたのかな...。守りたい!って気持ちが強い子なのかなって思って見てて、最後のマザーに「死なないでよかった、勢い強くてごめんね」ってちょっとはにかんで去るシーンで泣いた。

素はテンション高めな感じなのに、弱さを見せられるとグッときてしまう。守りたい子...。

 

火の星の子のビジュアルがすごく好きでした。客席から見ててまつ毛の長さとかカラコンの色味とかバッチリ見えて、やっぱ小劇場の距離感は最高。役者さんのメイクがみんなちょっと人形っぽいというか、人間っぽくない感じのメイクも星の子っていう超自然的な存在っぽさが出ててよかったな〜。

 

🐻動物の星の子🐻北川尚美さん

動物の星の子は動きがめちゃくちゃ動物っぽくてかわいかったです。天真爛漫で元気っ子って感じで、〜っス!の語尾もかわいい。ゴミ袋引っ張り出される所は、思った以上にゴミ袋が長くてずっとおえ〜〜〜〜って言っててつらい〜〜ってなりました。

 

火、水、風のエレメント系の星の子と動物、植物、虫の実在系星の子で苦しみとかつらいポイントがちょっと違うなって思いました。エレメント系の星の子たちは空気が汚れてる、とか水が汚れてるみたいな感覚的な苦しみだったのに対して、実在系の星の子たちは実際に打たれて駆除されたり、叩き潰されたり、実体験系の苦しみだったので、個人的には実在系の星の子たちの苦しみに心が痛くなりました。

動物の星の子がゴミ袋吐き出す所が1番辛くて、どうして食べちゃったの?って聞かれたのに対して、エサだと思ったんス...って言ってるのも、我々人類がごめんね...って思いながらつらい気持ちになりました。

動物の星の子ずっと元気でいて欲しい...。

 

 

🦋虫の星の子🦋赤坂志保さん

見た目めっちゃかわいい〜〜〜〜って思ってたら、声もかわいいし動きもかわいいし、なんなの〜〜〜〜って思ってたらデカいおかまに寄り添っててかわいいが爆発しました。デカいおかまと小さい僕っ子の組み合わせは常にかわいいと教わって生きてきました。

 

あんまり喋ってない役ではあったけど、役者さんの動き1つ1つに植物との関係とか虫の星の子の弱さとかが見えてとても印象に残りました。

自分で自分の事を弱虫って言うけど、本人自体が弱々しい訳ではなくて、惑星の中では弱い立場にあって自分でそれをどうしようもできないって思ってるからこそ弱虫って言ってるのかなって思いました。惑星の繁栄に自分達は欠かせない存在!って自負があるけど、敵わないものが多すぎるんだろうな...。虫の星の子も強さと弱さが内側に共存してる子で、植物に寄り添ってるのは植物に庇護される自分の弱さの発露でもあるし、植物を助けようとする強さの発露でもあったのかなって思いました。

 

🌿植物の星の子🌿宮崎祐司さん

そもそも『星の子たちと2人の神様』を観たきっかけが、植物の星の子の役者さんのオカマが見たかったからなんです。不純な動機でしかない。5、6年前にこの役者さんのオネエの花屋さんを見た時に、この人のオカマはすごいぞ...と思ってまさかまたオカマ役が見れる日が来るとは思ってなかったので何かの奇跡だと思いました。

 

植物の星の子は優しさ100%で、植物の包容感とオカマの全肯定感とちょっとの不躾さが綯い交ぜになったような存在でした。他の星の子が苦しんでたら寄り添ってたり、ママって呼ばれてるのも納得のママっぷりでした。お母さんっぽさもあるし、場末のママっぽさもあるのでダブルミーニングだったのかな。でも、人間の星の子の影響を受けて苦しむところも多くて、その時は他の星の子に支えてもらってたり、持ちつ持たれつというか、助けて助けられての感じがいいなと思いました。

 

宮崎さんのどこがいいって言われると、体の使い方が綺麗なとこがすごくいいな〜〜って思うんです。オカマの時の肘から指先までが特に綺麗だと思ってて、今回もめちゃ綺麗でした。あと、死に様がすごく綺麗。4月のヘンリーの時の脊髄反射死もすごかったけど、タリタ様に殺される時の死に様もめちゃくちゃよかったです。他の星の子の死に様もだいたい綺麗でみんな大好き。

 

🦊妖の星の子🦊山下りぉうさん

見た目も動きも喋り方も可愛すぎる〜〜〜!!!リタ様にかわいい〜って言われた時の高速( •᷄ὤ•᷅)و シャッ!が好きでした。

 

タリタ様の使いで、星の子たちの中で1人だけ真実を知ってるので無邪気さの中にピリッとした緊張感を含んでてゾワゾワしました。

ニコニコしたり真顔になったりコロコロ表情が変わってて、妖の星の子の心の奥が全然見えない感じがして、この子はどちらかといえば神様寄りの存在なのかな...と思いました。

バッドエンドでは1人だけ2回殺されててちょっと不憫な感じがしました。タリタ様、自分で生き返らせた妖の星の子を自分の手で殺さないであげてぇ...。

 

👦🏻人間の星の子👦🏻村田諒人さん

バッドとハッピーで1番印象が変わって面白い役でした。バッドエンドの方はもうずっと怖くて、そういう傲慢さが人間の悪いところ〜〜って思いました。逆にハッピーエンドは純粋すぎた故の過ちって感じがしてそれはそれで怖いなと思いました。

 

個人的な考察なんですけど、もしかして神様のタリタは人間の星の子がいないと存在できないんじゃないかと思いました。人間の信仰心のおかげで神様という存在が初めて生まれるのかな、と。タリタがリタに嫌いにならないで、とずっと言っていたのは、本来人間の星の子であるリタの信仰心がなくなることを恐れてたのかな、と思いました。

人間の星の子の重要な構成要素が2つあって、そのうちの1つは信仰心だと思うんですが、もう1つは愛なんじゃないかなと考えました。個人的に以前の惑星か、原初の惑星では人間の星の子は2人1組だったんじゃないかなと思ってます。対の人間の星の子への愛と神様への信仰心を持って惑星を繁栄に導いてたんじゃないかな〜と思いました。そう考えると、今回の惑星の人間の星の子はバッドエンドでは対の人間の星の子がいなかったために、神様への信仰心と人間への愛がぐちゃぐちゃに混ざってしまって信仰心と愛が全部神様のリタに向いてしまったという事なんじゃないかな、と。絶対的な信仰心と妄信的な愛を育ててしまって暴走したのかな。逆にハッピーエンドでは神様への信仰心と人間への愛を上手に共存させる事ができて、神様への信仰心は失わないまま人間であるタリタの事も受け入れる事ができたんだと思います。

超超超個人的な考察なので本編にそれを示唆してた場面とかシーンがあった訳ではないけど、そうだったら楽しいな〜くらいの気持ちです。

 

👼リタ👼宮崎まどかさん

今回の中ではTop of 不憫だなと思いました。自分の事を神様だと思ってて献身的に惑星を繁栄に導こうとしているのに、結局自分の力でどうしようもならなくて挙句の果てに神様じゃないと知らされるという...。

序盤の、「私は積極的な者。陽となってみんなを導くわ」と言ってたリタが徐々に自分の存在と実体の齟齬に気付き始めて、人間の星の子への愛を自覚して何者かがわからなくなってしまう姿が本当につらかったです。自分って何者なんだろう、誰に必要とされてるんだろうって漠然と普段の生活でも思ってしまうのでリタの悲痛な思いが容易に推し量れて悲しい気持ちでした。

 

リタが登場してからずっと、何で衣装の袖のボタンを閉めてないんだろうって気になってました。胸元のボタンと袖のボタンが同じようなボタンで、胸元をしっかり閉めてるなら袖も閉めた方が見た目的に綺麗なのになんでだろう...って思ってました。

リタが自分の手首に流れる血を見てから、自分の事を人間だとはっきり認識するのを見てから合点がいきました。実際に、2回目に手元を意識して見てたら要所要所で自分の手首を気にする所があって、そのためにボタン開けてるのか〜〜〜!!芸が細かい〜〜!と思いました。

 

💫タリタ💫我那覇ひろのさん

この惑星の中で1番好きですタリタ様。見た目も動きも声も人ならざる存在っぽさがあって、タリタ様ができるのはこの人以外いないだろうなと思いました。

冒頭の惑星のシーンで、実際には全く寒くないのにタリタ様の凍える姿を見てると周りも寒いんじゃないかと錯覚してしまいそうでした。

 

個人的な好みで、キャラクターの感情が暴走しすぎて人間の姿を保てなかったり異形になってしまうのが大大大好きなんですが、バッドエンドのラストのタリタの長い髪を振り乱して次々と星の子たちを手に掛ける姿は、演じているのは生身の人間なのに人間ではないものがそこにいる事を否が応でも理解させられている感じがして痺れました。糸で操ってるかのように殺していくのが踊ってるみたいにも感じてすごく綺麗で、星の子が殺されてて悲しいというよりも、絶対的に美しいものを見せられて涙が出る感覚でした。お芝居を見ててこんな気持ちになるのは初めてで、バッドエンドタリタ様最高でした。

 

ハッピーエンドでは妖の星の子と一緒にリタ様の恋の成就と明るい未来に素直に喜んでる姿がバッドエンドと正反対すぎて、タリタ様も幸せでいられる未来を感じて泣きました。リタ様に「あの時人間だと伝えてたらどうだった?」って聞いて、「とても幸せだった、かもしれないわ」の返答で涙腺が崩壊しました。伝えてたら幸せだったという結末は1つの分岐にしかすぎなくて、今この瞬間が幸せだよっていう事ですよね!?私はそう受け取りました...。リタ様のタリタ様への深い愛を感じました...。タリタ様は愛し方を間違えてたのかもしれないけど、それも全部リタ様の優しさで包んで幸せになるってことですよね...。「あの時〜」って聞くタリタ様の声がとっても不安そうで悲しそうなのに対してその暖かすぎる返答は泣くしかないし、心揺さぶられすぎて苦しいです。

バッドもハッピーも最高の結末すぎて涙無しには語れません。DVD見て大号泣しながら拍手しまくりたい。

 

長々と色々と書き連ねましたが1番言いたいのは、「星の子たちと2人の神様」を作りあげてくださった槭川キキさんへのありがとうございます、という事です。演劇をする事自体が歓迎されていないこの時期に素晴らしい作品を生み出してくださって、上演に踏み切る勇気を持ってくださったお陰でこの作品に出会えてとても幸せに思います。

シャービィ☆シャービィの皆様と、ご出演された皆様、スタッフの皆様のこれからのご活躍を切に願って、おしまいにしようと思います。

 

本当にありがとうございました。

 

【12/23追記】

11月の追記で、これ書いたら終わっちゃうな〜〜って思ってたんですが終わらなかったです。きっとこれが最後のハズ...。

昨日、シャービィ☆シャービィさんのクラウドファンディングのリターンが届きまして速攻でDVDを見ました。

劇場では受け止めるだけで精一杯だったシーンのあれやこれをゆっくり受け止められるので泣くとこじゃないシーンでも泣くし、これは泣くってシーンでも泣いてました。愛しさがカンストすると人って泣いちゃうんですねぇ。

DVDを見て細かくここ!!!!ここがいい!!!!って言いたい気持ちをグッと抑えて、前回の追記で1つだけわからなかった所にやっと腑に落ちる答えが見つかったのでそれだけ書きたいと思います。

 

色々考えて唯一わからなかったのが、「リタはなぜ他の星の子の声が聞ける・聞く役目を持っている」のかでした。

ただの人間の星の子なら当然特殊な力なんて持ってるはずもないし、むしろタリタの方が聞く力を持ってるんじゃないのか?と思ってたんですが、なるほど、ただの人間の星の子だから他の星の子の声が聞けたんだなと思いました。

タリタは神様で、惑星を創った存在ではあるけど惑星に生きる存在ではないというとこがミソなのかなと思います。惑星に生きるということは、他の星の子たちの影響を受けながら共存することが必要不可欠で、ただの人間の星の子であるリタは他の星の子たちと密接な関係にあるからこそ他の星の子の些細な変化や声を敏感に感じ取ることができたんだろうなと思いました。むしろ、惑星に生きていないタリタは星の子たちの声をキャッチするの困難な面すらあると思いました。

暴風雨のシーンで、タリタは「これで星が綺麗になる」と肯定的なのに対してリタは「みんなが消えていく」と否定的な気持ちを吐露しています。これがきっと2人の違いを顕著に表しているシーンだったと思います。ここは命を大切にしているか否かのシーンだと思っていたんですが、星の子たちの声がわからないタリタと星の子たちの声を聞けるリタという違いを表していたんだなぁとDVDを見返して思いました。

リタとタリタは元は1つの存在ではなかったけど、2人が揃って初めてお互いの欠陥を補える存在っていうのがまた...尊い...悲しい...大号泣です...天才...。

 

シャービィ☆シャービィさんの『星の子たちと2人の神様』、なんと公式通販でお求めいただけます。→https://shabbyshabby.thebase.in

複数台カメラがあってちゃんとカット割されててそれだけで最高なのに、ハッピーエンドとバッドエンドの分岐を感じさせるシーンの編集が本当に本当に最高なので全人類見てください...。しっかり両エンド収録されてます。

人間の星の子暴走ダンスシーンがとてもとても最高です。劇場でハッピーバッド両エンド見た後に感じた感動を一気に味わえるので本当にすごい...。

 

 

 

ミッドサマー考察とか感想とか

 

 

1.ミッドサマー2回見ました

R15版とR18版を各1回ずつ見ました。

1回目にR15版を観た感想は、重く苦しくてえぐい物語だったけど他人事というか、なんとなく自分より遠く現実味のない物語だと思いました。ダニーのヒステリックだったり、別れかけのカップルの空気感だったり、異文化の村だったり自分とはかけ離れたものが多くてよくも悪くも”物語”として見てました。

2回目にR18版を見た時は、色んな人の考察とかを沢山見てたし、1回見たということもあって、すごくつらく感じました。物語の凄惨さというよりは、体験として苦しい思いをした感じでした。

1回目に見た時はほとんどネタバレを見ないようにして、まっさらな状態で見たから特に何も思わなかったんだと思いますが、自分が観た感想とか他の人の感想とかを照らし合わせて、”ホルガ村は1つのカルト宗教集団”という視点でミッドサマーを見ると、カルトの恐ろしさというか、信仰の恐ろしさというか、そういうものが如実に感じられてすごく怖かったです。

ミッドサマー2回目という事もあって1回見ただけだと忘れてしまってたところとか、ミッドサマーを見ながら思ったこととか、考察とかを書いていこうと思います。ネタバレ含みます。

最終的になぜか演劇の話になってますがご容赦ください。

 

 

2.R15版とR18版の違い

R15版を観てからR18版を観ると、かなり作中で大事な部分が削られててびっくりしました。ざっと思い出せる箇所を挙げると

 

・ダニーをスウェーデン旅行に誘うクリスチャン

・ホルガ村へ移動中の車内

・2つ目の儀式

・ダニーとクリスチャンの口論

・細かい会話

 

などがありました。

ダニーとクリスチャンの関係とか、作中の大事な部分を理解するのにかなり大事な部分だと思ったので、R18版ぜひ観に行ってほしいです。これを観てるのと、R15版だけの解釈とかなり齟齬が生じると思います。グロテスクさはR15版とほとんど変わらなかったと思いますが、クリスチャンのモザイクが全くなくなってるのでそこだけR18だな、と思いました。

 

 

3.メイクイーンについて

私は人類学にも詳しくないし、ルーンにも詳しくないのでホルガ村の詳しい信仰の形や文化について考察するのは控えたいと思いますが、1回目も2回目も観た後にもやもやしていたメイクイーンという存在についてだけ考察したいと思います。

 

メイクイーンは”夏至祭のダンス大会で決められるホルガの女王”という存在です。ダニー達が招かれた夏至祭は90年に1度の大祝祭で、女王の決定や大量の生贄は大祝祭だからなのか、と1回目は思っていました。

ですが、宿舎にあるメイクイーンの写真が90年に1度にしては多すぎるところと、ホルガ村の住民がペレに対し「彼の人を選ぶセンスは素晴らしい」といった発言から、メイクイーンは頻繁に誕生していて、ペレは今まで何度か人をホルガ村へ招待していると考えました。実際、ペレがマークの家でダニーにホルガ村の説明をしているときにお揃いの白衣装を見せながら「夏至祭と冬至祭でこの衣装を着る」と言っているため、ホルガ村では少なくとも年に2回は生贄を伴った祝祭が行われているのではないでしょうか。

 

ここで、ミッドサマーの作中での季節の描写について考えたいと思います。

まず冒頭のオープニングは冬です。冬の季節にダニーは妹と両親を失います。ここから、冬という季節は死を表しているのではないかと考えられます。ド頭の一枚絵にも髑髏が描かれた冬の季節が描かれていました。

それと対応するように、夏は生の季節として描かれています。ホルガ村での夏至祭は生に対する感謝を捧げる祝祭であり、冬=死、夏=生という構図が見てとれます。

 

次にメイクイーンという役割について考えたいと思います。

ホルガ村は”役割”を重要視しています。その”役割”によって信仰が成り立っているといっても過言ではないかもしれません。

では、メイクイーンの役割とは何なのでしょうか?

文字通り女王という役割であり、メイクイーンはホルガ村そのものなのではないかと思いました。ホルガ村では個は存在せず、みんなが1つの共同体であるホルガを演じているように感じました。ホルガという存在になる、ということがホルガ村での信仰であり、幸福であり、存在意義であると思いました。であれば、メイクイーンという役割を作る必要性は何なのでしょうか。

1つの考察に過ぎないのですが、メイクイーンはただの象徴なのではないでしょうか。そして同時に外部の人間をホルガに取り込むための役割なのだと考えました。

ホルガにとって重要な役割であるとしたら、外部の人間にその役割を与えるとは考えられません。ホルガにとって重要な神殿は外部の人間に立ち入らせておらず、ルビ・ラダーも外部の人間に触れさせていません。ホルガにとって重要なものは外部の人間には接触させないというルールは存在すると考えられます。だとすると、女王であるメイクイーンを外部の人間に与えるというのは不自然に感じました。

 

であれば、メイクイーンとは一体何なのか。それは、外部の人間をホルガの一部にするための手段なのではないかと考えました。そしてこれは確証のない考察なのですが、冬至祭での生贄なのではないかと思います。冬至祭について詳しく調べた訳ではないのですが、中世の冬至祭では生贄を捧げていたという記述もありました。夏に豊穣の象徴として誕生したメイクイーンを冬に次の年の豊作の祈願として捧げる。夏に誕生し、冬に死ぬ。生命のサイクルを唱えてるホルガ村では考えられなくはないサイクルだと思います。ただ、これは作中では一切言及されていないので、ほとんど妄想に近い考察です。

 

 

4.役割という恐怖

メイクイーンについて考察しましたが、ホルガ村の一番恐ろしい所は死を厭わない残虐性ではなく、1人1人に役割があるというところだと思いました。

ここからは考察ではなくただの感想なのですが、私が2回目のミッドサマーを観た時に一番心に残ったのがホルガ村に行く前にペレがダニーに言った、

「(ホルガ村の夏至祭は)演劇みたいなものさ、みんなに役割がある」

という台詞でした。

人生の半分くらい演劇に携わっている私としては、なかなかに衝撃のある一言でした。

演劇だけでなく、映画もそうですし、このミッドサマーだってそうですが、人が演じている以上、役割が振り分けられています。役者が役割を忠実にこなした結果が役のキャラクターが生きるんだと思っています。ですが、それを突き詰めれば、ホルガ村のような恐ろしい1つの塊になる可能性があることを思い知らされたようでした。

人に与えられる役割の恐ろしさは、スタンフォードの監獄実験やアウシュビッツ収容所の監視員などの史実からも想像することができます。人は役割を与えられることで本来のその人にはない言動や行為がいとも容易くできてしまうのです。

ホルガ村の人々も、本来人を殺すような残虐な人々ではないのだと思います。しかし、ホルガというサイクルを守る1つの役割を与えられたため、人を殺すことに疑問を抱かなくなってしまったのではないでしょうか。

演劇をしていると個を無くして役に徹する場面はたくさんあります。個を殺すことによって役が生きる芸術であると考えられますが、ミッドサマーを観て、かなり危うさを含んだ芸術なんだと改めて思いました。そして、それが役割でしかないという事が見透かされると途端に白けてしまいます。

ミッドサマーにおいて、ペレもただの役割を与えられたホルガ住民に過ぎなかったと思います。1回目に見た時はダニーへの恋心とまでいかずとも何か人間的な思いがあると思っていました。ですが、2回目を観た後では、ダニーに対する思いはなく、ただホルガに対する役割を全うしていただけだったんだと思いました。役割に徹して生きるペレが薄ら恐ろしい存在としか思えず、ホルガの恐ろしさを感じました。

 

 

5.ホルガ村恐ろしいところ

個人的な考察や感想を述べてきましたが、結論としてはホルガ村はすごく恐ろしいところだな、という気持ちです。

ミッドサマーをセラピー映画だと評価する人もいますが、もしかして観ている映画が違うのかと感じるほど、ミッドサマーにセラピー性を感じられませんでした。

ただ集団の中の1つの役割として動く人々の恐ろしさを思い知らされた映画だと思いました。何か1つの巨大な塊が悪意なく、こちらに害を及ぼしているみたいな感じでした。

劇団あまりもの『MUGEN』について妄想寄りの考察

 

『MUGEN』とは?

 

 『MUGEN』は、福岡で活動する劇団「劇団あまりもの」のオリジナル作品です。初演は2016年10月の劇団あまりもの第5回本公演で、2019年12月に劇団あまりものReplay#2として再演されました。


 あらすじは、
  
  -少し変わった町で年に1回だけ開催されるカーニバル。その最後の一夜に事件は起こった。主人公メユは気づくとどことも知れない奇妙な世界で、神と名乗る男と出会う。
「真実を知りたくば、今日という一日をやり直し、そしてその手で、頭で見つけてくるのです。」
そこから彼女のカーニバルの最後の一日が、もう一度始まる!事件の犯人とは?そして神とは一体何者なのか?物語が終わるとき、多くの学者や哲学者が追い求めた「真理」という答えを知り得ることになるかもしれない。-
(劇団あまりもの第5回公演『MUGEN』チラシより)
 
と書かれていて、初演も再演も同じ文章です。架空の町で起こった事件の犯人を主人公メユが探す、ファンタジーミステリーのような作品です。

 

初演MUGEN

 

上述したように、初演MUGENは2016年10月に劇団あまりもの第5回本公演として上演されました。公演情報は以下の通りです。
 
第5回公演『MUGEN』
脚本:チェニー・セイファース
演出:矢ヶ部祐作
日程:2016年10月8~10日
場所:甘棠館show劇場
楽曲提供:Blayze(Are you ready?)
 
キャスト
Meyu:いっくん
Valis:橋本佑里
Louis&Robert:高橋佳成
Digitalis:黒木祐司
Prion:相川了一
Lysergie:田中幸乃
Replica:藤本宏次郎
Liz:武田遥
Lilith:塩崎直央
(敬称略)

 

再演MUGEN

再演MUGENは劇団あまりものReplayという再演企画の中で上演されました。再演MUGENは観ることができなかったので、この考察は基本的に初演のお芝居と初演台本、再演に関してTwitter等で得た情報を参考にしています。再演の情報がとにかく薄いので、再演を観た方の情報を求めてます。
 再演MUGENの公演情報は以下の通りです。
 
第5回公演『MUGEN』
脚本:チェニー・セイファース
演出:はせ川・くりすてぃー奈
日程:2019年12月13~15日
場所:甘棠館show劇場
楽曲提供:あかたろ(意気揚々と笑おうぜ)
 
キャスト
Meyu:いっくん
Valis:高野功樹
Louis&Robert:矢ヶ部祐作
Digitalis:大浦悠平
Prion:だにえる
Lysergie:石川はるな
Replica:大浦悠平
Liz:井﨑藍子
Lilith:天稀華夢
(敬称略)

 

劇団あまりものって? 

第1章では『MUGEN』について基本的な情報を書きましたが、そもそも劇団あまりものとはどんな劇団なんでしょうか?
 劇団あまりものは2015年4月に旗揚げされた劇団で、現在までに本公演を10本、コラボ公演や朗読公演など様々な公演をされています。詳しい過去公演の情報が劇団HPに掲載されているので興味を持たれた方はそちらをご覧ください。
 
 劇団あまりものの特徴は、ミステリーを中心に作品作りをされているところだと思います。本公演10本のうち、9割がミステリーで、ミステリー以外の作品も謎やそこはかとなくダークな雰囲気のある作品です。特に、謎は脚本の中だけでなく毎回変わっている脚本家にもそれぞれ謎があります。
 
 そんな劇団あまりものの作品の中でも特に多くの謎が散りばめられていて、かなり複雑な『MUGEN』の謎を私なりに考察していきたいと思います。以下の考察では、『MUGEN』本編の多大なネタバレが含まれますのでご容赦ください。

 

『MUGEN』の謎解き

 

『MUGEN』は、主人公メユが住む閉鎖的な町で年に一度行われるカーニバル最後の日に、ある悲劇にあってしまうところから始まります。突如幻想の世界に迷い込んだメユは自称神であるレプリカから【時間を巻き戻す時計】を与えられ、時計を使い時間を逆行して悲劇の真相を突き止めようと奔走します。しかし、真相に近づくにつれ、町に起こった悲劇は1つだけではないことが判明します。メユは様々な困難を乗り越え、複雑に入り組んだ悲劇の真相を突き止めることができるのでしょうか?
 
 『MUGEN』の物語は、メユが時間を遡って悲劇の真相を突き止めていく過程を追っているので同じ場面が何度も繰り返される構造になっています。何度も繰り返す中で徐々に真相に近づいていくのですが、1度しか見ていない人は時系列を理解するのも難しかったのではないかと思います。
まずは、本編の時系列を確認していきたいと思います。

 

時系列

第一場 【幻想世界】
メユが目を覚ますとそこは現実とは違う幻想の世界でした。
ピエロの様な外見をした自称神のレプリカに
 「君にはこの答えがわかるかな?とある日にとある人物が殺された。衝動的に頭を殴られて撲殺される。その人物に恨みを持っているものは1人だけ存在した。しかしその犯人とされる人物はちょうど時を同じくして遠く離れた場所で目撃された。果たして遠く離れた場所にいてその人物を殺す事は本当に出来るのか?」
と、謎解きのような問いかけをされますが、メユには何の事だかわかりません。謎の真相を突き止めるため、レプリカから時間を巻き戻す時計を受け取ったメユは、ネジを回して時間を巻き戻します。
 
第二場 【最終日(1回目)】
時計を使って時間を遡ったメユは図書館で目覚めます。図書館に勤めているヴァリスとの会話の中で、カーニバルの最終日であること、町に来るはずのパフォーマーが現れず大騒ぎになっている事を知りました。酒場で自分を待っている友人たちの下へ向かう途中に、メユは友人のルイスが人を殺めた現場に遭遇してしまいます。咄嗟にメユは時計を取り出して時間を巻き戻すのでした。
第三場 【幻想世界】
再び幻想世界に戻ってきたメユは、町で起こった悲劇が夢ではないことを知り、カーニバルの最終日の悲劇を終わらせるためにまた時間を巻き戻します。
 
第四場 【最終日(2回目)】
場面は変わり、町の酒場でメユの友人のルイス、リゼルグ、ジギタリスプリオンが談笑していて、カーニバルにパフォーマーが現れない事や、プリオンが自分の飼っている馬を食べるほど愛している話、ジギタリスのちょっと変わったしゃべり方や、ルイスの双子の兄のロバートの話で盛り上がっています。(第四場の酒場での会話が以降の謎解きの軸になっています。)
そして、メユが遅れてやって来てルイスが殺人を犯していないことに安堵します。プリオンが自慢の肉料理をふるまい、和やかなムードの中、ルイスが想い人に告白をするためにジギタリスに花束を見繕ってもらう事になりました。
 
第五場 【最終日(2回目)】
メユはその後に起こる悲劇を知っていたので、ルイスの後を追いますが、ルイスは兄のロバートもアリスに告白しようとしているのを知り、告白を断念してしまいました。
ここで、メユの中に疑問が浮かびます。以前殺人を犯してしまったのは、もしかしてルイスではなくてロバートだったのではないかと。2人は外見は瓜二つなので見間違えた可能性はあります。ロバートを止めるためにメユはロバートの元へ向かいますが、その疑問は全くの見当違いでした。
再びルイスの元へ戻ると、そこにはアリスの死体と血塗れのルイスがいました。メユはルイスに、どうしてこんな事をしたのかと問いかけますが、ルイスは逆にメユに「自分とロバートの違いは何なのか」と問いかけます。
ルイスはアリスさえも自分とロバートの違いがわからなかった事に激高し、衝動的にアリスを殺してしまったのでした。ルイスは酷い錯乱状態にあり、自分とロバートの区別さえつかなくなっていました。
そしてメユはルイスの殺人を止めるために再び時間を巻き戻します。
 
第六場  【最終日(3回目)】
メユは図書館で目を覚まし、ヴァリスから『ジキルとハイド』と花の本について教えてもらいます。ある確信を持ったメユは、ジギタリスの花屋に急ぐのでした。
時間はまだ最終日のカーニバルが始まるには早い時間で、ジギタリスは花屋で働いていました。メユは、ジギタリスがルイスに猛毒の花を食べさせた夢を見た、と言い彼の行動を止めようとします。メユの予想通り、ジギタリスはある心の闇を抱えていて、それを晴らす為にルイスを手にかけようとしていました。メユの説得に応じたジギタリスは、ルイスに手を出す事をやめます。安心したメユが花屋を後にすると、ある人影がジギタリスに忍び寄るのでした。
 
第七場  【最終日(3回目)】
酒場では、パフォーマー達の歌を聴いてプリオンリゼルグ、ルイスが盛り上がっています。2回目の最終日で聞いたような会話を3人で繰り広げています。そこにメユがやって来て、ルイスにリゼルグと花束を選んで来るように誘導し、プリオンと2人きりになります。
メユは花屋からジギタリスが戻ってこなかった事を不審に思い、プリオンを問い詰めます。
プリオン愛する人を食べる事こそが究極の愛であり、食べる事によって本当の意味で1つになれると考えていました。
しかし、そこにリゼルグが現れ、プリオンに処方していた薬について話し始めます。実はプリオンに処方していた薬には強い幻覚作用が含まれており、プリオンは薬の幻覚で人が自分の飼っている馬に見えてしまっていたために、人を殺して食べてしまうようになっていたのでした。プリオンは幻覚の所為でジギタリスを殺してしまった事を、リゼルグが間違った知識のまま薬を売ってしまっていた事を後悔します。
メユここで新たな疑問を持ちます。プリオンリゼルグに間違った知識を与えたのは一体誰なんだ、と。
 
第八場  【最終日(4回目)】
メユは悲劇を止めるため何度も何度も過去をやり直しますが、結局カーニバルの最終日に戻ってしまいます。
何度目か、図書館で目が覚めたメユは自分の背後に忍び寄る怪しい影に気付きます。それはヴァリスでした。
メユは時間を巻き戻して町の悲劇を止めていく中で、冒頭にレプリカから問いかけられた
 「君にはこの答えがわかるかな?とある日にとある人物が殺された。衝動的に頭を殴られて撲殺される。その人物に恨みを持っているものは1人だけ存在した。しかしその犯人とされる人物はちょうど時を同じくして遠く離れた場所で目撃された。果たして遠く離れた場所にいてその人物を殺す事は本当に出来るのか?」
という謎の真相に徐々に近付いていました。ヴァリスはルイス、ジギタリスプリオンリゼルグが抱えている心の闇を知っていて、それを利用して悲劇を引き起こしていました。そしてその答えをメユに教えるかのように、図書館の本を使ってメユにヒントを与えていたのです。ヴァリスはメユが悲劇の真相を知ったとして、彼女を殺し、逃げ延びる算段がありました。
ヴァリスは町の人々の閉鎖性を知り尽くしていて、間違った知識を与えることで町の常識すら書き換えてしまっていたのでした。町を一から創造し、神に近付くためには人を殺めることも厭わないヴァリスを止める方法は、メユにはもう1つしか残されていません。メユは時計のネジを今までより長く、長く、ずっと遠くの時間まで戻るように巻き続けたのです。
 
第九場  【幻想世界】
暇を持て余しているレプリカの元にやってきたメユは、時計をレプリカに返し、ヴァリスを救うために再び長い長い繰り返しの旅へ出るのでした。
 

名前の謎

物語の大筋がわかったところで、今度は物語に隠されている謎を解き明かしていこうと思います。
この物語は、ルイスが二重人格になって錯乱してしまう、ジギタリスが猛毒の花を食べさせてしまう、プリオンが人を殺して食べてしまう、リゼルグが劇薬を扱ってしまう、ヴァリスが情報統制をしてしまう、という大きな5つの悲劇からなっています。その悲劇のヒントは、登場人物の名前に隠されていました。
 
〇ルイス/ロバート
ルイスとロバートは一卵性の双子です。ルイスは兄ロバートに対し劣等感を抱いており、ジギタリスに食べさせられた花をきっかけに人格分裂してしまいました。
そんなルイスとロバートのヒントは劇中にも明かされたように『ジキル博士とハイド氏』にあります。
ジキル博士とハイド氏』の作者は、ロバート・ルイス・スティーブンソン氏です。ここにルイスの二重人格を示すヒントが隠されていました。
 
ジギタリス
花屋のジギタリスは猛毒のダチュラをルイスに食べさせ、怨みを晴らそうとします。
ジギタリスの劇中のヒントは、花の本でした。ヴァリスの解説によって、載っている花がどれも危険な花であるとわかります。
ジギタリスとは、それ自体が猛毒を持つ花で、ジギタリスの行動のヒントを示していました。
 
プリオン
プリオンカニバリズムの偏愛家かと思いきや、薬の幻覚で殺人・食人衝動に駆られていた肉屋です。
ヴァリスの図書館にはカニバリズムの本もあり、それがプリオンのヒントでした。
プリオンとは、進行性の脳の変性疾患のプリオン病がモチーフで、クールーと呼ばれるプリオン病の1種が食人がきっかけで罹患する事から、プリオンのヒントになっていました。
 
リゼル
リゼルグは町の薬屋ですが、自分で勉強することを怠って間違った知識のまま薬を処方していました。リゼルグの薬屋に劇薬が置かれているのは、劇中に既に明かされています。
リゼルグの名前は、リゼルグ酸ジエチルアミド(通称:LSD)を指していて、これは非常に強烈な作用を有する幻覚剤です。ここから、リゼルグが危険な薬物に関係すると考える事ができます。
 
ヴァリス
ヴァリスはこの物語の黒幕で、町の情報を自らの手で統制する事によって、町を一から創造しようとしていました。
そんなヴァリスの名前は、フィリップ・K・ディックの小説『ヴァリス』から来ていると考えられます。
ヴァリスは"Vast Active Living Intelligence System"の頭文字からできた言葉で、「巨大にして能動的な生ける情報システム」と訳されます。つまり、町にとってヴァリスこそが情報システムであった事を指しているのではないでしょうか。
 
〇リズ、リリス
レプリカの傍にいつもいる2人の女性、リズとリリスはわかっていないことだらけです。名前の謎もまだ解けていません。
 
〇レプリカ
自称神の不思議な存在であるレプリカは、劇中で言っていた通り、その存在自体がレプリカだと考えられます。詳しくは後述します。
 
〇メユ
この物語の主人公メユについて、考察がたくさんあるので彼女についても詳しくは後述したいと思います。
 

考察

 以上の時系列と名前の謎などから、あくまで私個人の”飛躍した物の考え”な考察をしていきたいと思います。

 

リゼル

 まず、町の薬屋のリゼルグについて考察していきたいと思います。

 リゼルグは誤った知識から、店に劇薬ばかり置いていましたがその劇薬は一体どこから仕入れていたのでしょうか?町は陸の孤島状態であり、リゼルグも町の外から出たことがないと考えられます。そうなると、やはり薬の仕入れ元もヴァリスだと考えるのが妥当ではないでしょうか。そもそも、リゼルグが薬屋を開いたのはヴァリスの入れ知恵で、直接手を下さずに住民に劇薬を与える為に利用されたのだと思います。

 また、この町には医者という職業が存在しないと考えられます。そのため、町の住民は病気や些細なケガでもリゼルグの薬屋を頼らざるを得ない状況にあります。リゼルグはプリオンの幻覚について、メユの推理を聞いて自覚していましたが実際はプリオン以外にもリゼルグの薬の被害者は多く存在するのではないでしょうか。

 

ルイス

 次に双子のルイス/ロバートについて考察していきます。

 まず、ルイスが狂ってしまった原因について考えていきたいと思います。ルイスはジギタリスから盛られたダチュラを食べてしまったことが原因でせん妄状態に陥り、殺人を犯してしまいました。しかし、実際はダチュラは深いせん妄状態になるきっかけに過ぎず、狂ってしまった要因は他にあると思いました。それは、ルイスがロバートに対して激しい劣等感を抱いていることが要因だと考えられます。ルイスは日常的にロバートと比較されていたと劇中から推測でき、ロバートよりも劣っているというニュアンスで比較されています。ルイスは募った劣等感を解消するために、時々ロバートになりきって町を出歩いていましたが、それすらも彼の劣等感を増幅させてしまったのではないでしょうか。

 劇中に「朝、鏡で自分の顔を見ると自分がルイスかロバートかわからなくなるんです」というルイスの台詞があります。ロバートになりきって町を出歩き始めて、ルイスは鏡の前で自問自答していたのだと推測できます。”ゲシュタルト崩壊”という都市伝説があるように、鏡に映る自分に「自分は誰だ」と問いかけると自分自身がわからなくなってしまう現象があります。ルイスはダチュラを食べる以前からすでに自分がルイスかロバートかわからない状態にあり、ダチュラを食べたことによって深いせん妄状態になってしまったのではないでしょうか。

 次に、なぜルイスとロバートのモチーフが『ジキル博士とハイド氏』なのでしょうか。ジキルとハイドは二重人格の話であり、双子の話ではありません。そして、ルイス自身二重人格になったわけではなく、自分とロバートがわからなくなったのです。では、なぜジキルとハイドがモチーフなのでしょうか。

 実は、ルイスは二重人格なのではないでしょうか。元々はただの双子だったと考えられますが、劇中のルイスは二重人格の可能性が高いと考えられます。それは、ダチュラを食べた後の行動から考えることができます。ルイスはアリスに告白しに行って、ロバートもアリスに告白しようとしている事に気付き、先回りしてアリスを殺します。ジギタリスの思惑にあったように、なぜルイスはロバートを殺さなかったのでしょうか。アリスを愛しているのなら、ロバートを殺せば競争相手がいなくなるだけで済むのに、アリスを殺してしまうと愛している相手が死に、憎い相手だけが残ります。ルイスはなぜそのような選択をしたのでしょうか。

 それは、ルイスはロバートを殺せなかったのではないでしょうか。劇中におけるロバートはルイスのもう一つの人格であり、メユと出会ったのもルイスの人格であるロバートだと考えられます。なので、ルイスはロバートを殺さずアリスを殺してしまったのだと思います。

 では、ロバートという存在は実在したのでしょうか?ある時点まではロバートは町に存在していたと考えられます。リゼルグに薬が危ないと教えたのと、ジギタリスに対して差別的な発言をしたロバートは実際のロバートだと思います。理由はわかりませんが、ロバートは町にいながらも外の世界のことに詳しい人物です。薬の効果を知っていたり、花言葉を知っていたり、他の登場人物よりはるかに外の世界に詳しいことが伺えます。ロバートの消息について2つ考えがあります。1つ目は、外の世界に行ってしまった説です。酒場での会話にあるように何も言わず外の世界に行ってしまう住民が少なからず存在し、ロバートもその1人だと考えることができます。2つ目はヴァリスの手にかかった説です。ヴァリスは町の支配を完璧なものにするために、町の外からくるパフォーマーを手にかけています。外の世界の知識があるロバートはヴァリスにとって邪魔な存在だったのではないでしょうか。ルイスに手を下させたか、あるいはプリオンに殺させたか、いずれかの方法でヴァリスがロバートの存在を消したことも考えられます。ロバートという存在がなくなった事もルイスが二重人格になるきっかけだったのではないでしょうか。

プリオン

 次にプリオンについて考えていきたいと思います。

 プリオンは、リゼルグから処方された薬の作用で幻覚をみており、それを愛と勘違いし人を殺して食べてしまっていました。ですが、実際はそこに愛はあったのでしょうか?。プリオンジギタリスを愛しいと感じていて、自分の飼っている馬に見えてしまい殺したと供述していますが、プリオンは外の世界から来たパフォーマー達も殺しています。このことから、プリオンは幻覚の作用で人が馬に見えてしまっていて、少なからず好意のある人間は「人間」として認識できるものの徐々に馬に見えてしまい、好意のない人間に対してはもはや「人間」として認識していなかったのではないかと思います。

 プリオンはト書きにあるように常に手が震えています。体の震えという症状は食人病である”クール―病”の罹患者の多くに見られる症状です。つまり、プリオンは常習的に人を食べていたのではないでしょうか。リゼルグの薬を飲み幻覚を見始めたのは3か月前で、酒場の会話で「最近見知った顔もいなくなった」というのはプリオンが殺していたという側面があるのではないでしょうか。

 プリオンの常習的な食人について気付いていたヴァリスが、”愛”という知識を与えてしまったために、好意のある人間すら手にかけてしまったのではないでしょうか。

 

ジギタリス

 次にジギタリスについて考察していきたいと思います。

 まず、ジギタリスはなぜルイスだけが花を食べてくれると知っていたのでしょうか。これはジギタリスが以前からルイスに花を食べさせていた事があるのではないかと考えられます。ジギタリスは花についての知識があり、花屋には毒花も並んでいたのではないでしょうか。そして、日ごろからロバートに差別的な発言をされていたと推測できます。つまり、いずれルイスに猛毒のダチュラを食べさせるという綿密な計画があったと考えられます。

 また、ジギタリスは比較的仲のよさそうな酒場仲間からもその話し方はなんなんだ?と問いかけられており、町の中でジギタリスの言動に好意的に接する人間は少なかったのではないかと推測できます。ジギタリスは「(差別的な発言をされると)どうにかしてしまいたくなる」と言っていますが、実際にどうにかしてしまっていたのではないでしょうか。ダチュラの毒が人体にどのような影響を及ぼすのか、ジギタリスは知っていてルイスに花を食べさせたのだと思います。ルイスに食べさせる以前に、町で差別的な発言をしてきた人間に食べさせたことがあるのではないでしょうか。ジギタリスの「この町では葬式用の菊の花がよく売れる」という発言は、ジギタリスが手にかけた人間も含まれているのではないでしょうか。

 

リズ、リリス 

  リズ、リリスは劇中の中で特に情報が少ない登場人物で、彼女たちは物語の世界観を示すために存在しているのではないかと考えられます。

 MUGENの世界は二元論的な要素の強い世界であり、その象徴としての二対の女性(初演では白黒、再演では赤青)なのではないでしょうか。

レプリカ

 レプリカは劇中で「作られた存在である」と発言していますが、それは真実であると考えています。レプリカはMUGENの世界を作った人物が作り上げた存在で、彼自身神ではないのだと思います。レプリカは創造主から役割を与えられた存在であり、問いかけを与えるのが彼の役割だったのではないでしょうか。

 そして、レプリカの創造主は誰なのでしょうか。劇中では「(創造主は)ずっとそこにいましたよ。ほらそこに」と客席を指しています。これは、観客が作り上げた世界であるということを示唆していると考えていましたが、それはミスリードで、実際はメユのことを指していたのではないかと考えられます。劇中でレプリカの前に現れていた人物は唯一メユのみで、MUGENの世界もメユが作り上げたのだと考えられます。

 

ヴァリス

 ヴァリスはMUGENの物語の黒幕ですが、何点か不可解な点かあります。町を裏から操る支配者として暗躍していましたが、町の人との関わり方が不可解です。メユに酒場に誘われたとき、大人数が苦手だからという理由で断っていたり、劇中でメユ以外の人物と会話を交わすこともありません。それは、なぜなのでしょうか。ヴァリスが様々な悲劇の原因について裏から手を引いている事が発覚するからなのでしょうか?

 また、メユとの関わり方について、ヴァリスはメユの心の闇についても把握してたのではないでしょうか。劇中におけるメユの心の闇、とは普段親しくしている人物について深い事情をなにも知らされていないことだと考えられます。それを知っていたため、本を介して登場人物の心の闇のヒントを与えていたのではないでしょうか。このことから、ヴァリスはメユに対しても与える存在であり、上位性を示そうとしていますが、メユはヴァリスが知り得なかったことを自分の力で獲得しています。それは”愛”だと考えられます。ヴァリスはたくさんの知識を有していましたが、愛とは何なのか知らなかったのではないでしょうか。ヴァリスは登場人物のヒントを与え、自分の計画の手の内を明かしていますが、それはメユを信頼していたためなのではないでしょうか。そしてメユを殺すことも厭わなかったのはプリオンに教えたように、歪んだ愛の形だったのではないでしょうか。ヴァリスはそのことに気付いていなかったのだと思います。ですが、メユは悲劇を解決するうちに、自分の力で愛とはなんなのか、という一種の答えにたどり着きます。ヴァリスにとってそれは誤算だったのではないでしょうか。

 

メユ

 最後に、物語の主人公であるメユについて考察していきたいと思います。

 メユはカーニバルの最終日に起こる悲劇を解決するため奔走する、ある意味悲劇の主人公として描かれていますが、本当にそうなのでしょうか。

 そもそも、MUGENという世界は、誰が作った世界なのでしょうか。

 メユの名前を入れ替えると”ユメ”、つまり、MUGENの世界はメユの見た夢の世界なのではないでしょうか。それぞれの登場人物に与えられた、役割を指すかのような名前もメユの夢の中での役割を表していると考えられます。MUGENの世界はメユが親友ヴァリスを救うためにメユが作り上げた世界だと考えられます。そのため、町の悲劇は必ず起こる必要があります。登場人物1人1人が複雑に重なり合って様々な悲劇を生み出しているのは、そこに役割が生じているからだと考えることができます。そして最終的にメユがヴァリスの真実を暴いてヴァリスを救うというのがMUGENの世界の流れなのではないでしょうか。

 メユは時間を巻き戻して悲劇を解決していきますが、その過程で時間を巻き戻してもメユの時間の流れだけは変わりません。時間を巻き戻す前に飲んだ薬の効果が時間を巻き戻した後に現れるように、1人だけ時間の流れが違います。つまり、メユだけがMUGENの世界の干渉を受けていない事になります。

 また、メユが時間を巻き戻す際に、多少の世界線のずれが生じていると考えられます。プリオンパフォーマーを殺す場合とジギタリスを殺す場合があったように、少しずつ巻き戻すたびに世界がずれています。メユは最後にありったけのネジを回して時間を巻き戻しますが、初演で巻き戻して新たに作り出された世界が再演の世界なのではないでしょうか。メユのみ初演キャストでその他全員が新規キャストなのでそういう考えもできると思います。

 MUGENの世界が夢の世界ならば、現実のメユは一体どのような人物なのでしょうか?

 現実のメユこそがMUGEN の世界のヴァリスなのではないでしょうか。現実で起こりうることは夢でも起こる、現実で起こらないことは夢でも起こらない、と劇中の台詞である通り、MUGENの世界のトリックは現実の世界のメユが知り得ている情報なのではないでしょうか。つまり、現実のメユは図書館に籠りきりの女の子で、友達と言える友達はおらず、いつも本を読んで物語の世界に浸っていると考えられます。そんな自分を映し出したヴァリスという存在を救う物語をメユは自分の中で作り上げてしまったのではないでしょうか。レプリカの言う”真理”とはMUGENの世界こそが夢幻であるということなのではないでしょうか。